塩瀬総本家

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マーカーは塩瀬総本家です。

塩瀬総本家
[塩瀬の歴史は、650年ほど前に遡ります。貞和5(1349)年、宋で修業を終えた龍山徳見禅師の帰国に際し、俗弟子だった一人の中国人が別れがたく随従して来朝しました。その人物が、塩瀬総本家の始祖・林淨因(奈良市・漢國神社の境内社に林浄因に因む林神社(りんじんじゃ)がある。)です。林淨因は暮らしの居を奈良に構え、お饅頭を作って売り出しました。これが、塩瀬の歴史の始まりです。その後、饅頭屋は、林淨因の子孫が受け継ぎ、奈良・林家と京都・林家に別れて営業することになります。 1467(応仁元)年の応仁の乱。応仁の乱は京都を焼け野原にしました。戦乱を避けて京都を離れた林家は、親戚関係であった豪族・塩瀬家を頼って三河国設楽郡塩瀬村に住み、姓を「塩瀬」に改めました。再び京都に移った塩瀬は大繁盛、塩瀬があった烏丸三条通り下ルのあたりは当時、饅頭屋町と呼ばれました。この頃、8代室町将軍の足利義政より「日本第一番本饅頭所林氏塩瀬」の看板を授かり、時の帝、後土御門天皇からは「五七の桐」の御紋を拝領しました。 それから100年後、時は“国盗り物語”の時代。塩瀬のお饅頭は、明智光秀豊臣秀吉徳川家康に愛好されます。関が原の戦いで勝利をおさめた徳川家康の江戸開府に時代を同じくして、京都での繁盛も続く中、塩瀬の源譽宋需という者が江戸に上がり、商売を始めました。(「塩瀬総本家ホームページ・塩瀬の歴史」より)]

塩瀬総本家 本店(しおせそうほんけ)[食べログ]

カメラ北北東方向が塩瀬総本家です。

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