岡山藩中屋敷跡、備前橋跡

マーカーは備前橋跡です。

関連リンク – 「岡山藩池田家上屋敷跡」、「岡山藩池田家下屋敷跡

岡山藩中屋敷跡、備前橋跡
[岡山藩中屋敷築地にもありました。築地はその名が示すように、明暦の大火(1657年)後に湿地帯を埋め立ててできた地区で、海岸・堀沿いに町屋が設けられている他は、築地本願寺の周辺に旗本屋敷が集まる以外、ほとんどが大名の屋敷地となっていました。
 岡山藩邸は本願寺と堀を挟んだ北東向かい、築地地区のほぼ中央に位置しており、現在でも藩邸を囲む道がそのまま残されているため、藩邸の場所がはっきりと特定できます。広さは約1万6000㎡で、海岸に近く、藩邸前に掘があったことから、蔵屋敷としての役割を持っていたものと考えられます。
 当時は藩邸の前に堀があり、対岸との間に「備前橋」という橋が架けられていました。言うまでもなく、備前藩邸の前にあることから付けられた名称です。昭和60年ころまでは、掘割の一部が築地川として残り、備前橋も橋として機能していましたが、その後川は埋め立てられて公園となり、備前橋も片側の欄干と親柱を残すのみとなっています。  (「岡山藩中屋敷跡(築地) – 岡山市」より)]

資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 築地八町堀日本橋南絵図」(絵図中央左側に武家地、築地本願寺を囲むように築地川が描かれ、本願寺右下に備前橋が描かれています。また備前橋の右上・松平内蔵頭が岡山藩中屋敷です。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 京橋川筋南之方芝口橋川筋限木挽町築地鉄砲洲辺迄一円之絵図 : 天保九年」(絵図中央左上「本願寺」上方向に「松平伊豫守」が描かれ、その右下に「備前橋」が描かれています。)

京橋南芝口橋築地銕炮洲邉絵図 / 玉香園主人 [編]」・「bunko10_08631_p0003.jpg

江戸方角安見図鑑」・「ru11_01312_0001_p0028.jpg

国立国会図書館デジタル化資料 – 御府内往還其外沿革図書」 – 「七[147] – 78/147」(絵図中下・西本願寺右に松平伊予守と描かれています。)、「七[147] – 79/147」(絵図中下・西本願寺右に松平内蔵頭と描かれています。)、「七[147] – 74/147、75/147」(絵図中下・西本願寺右に松平大炊頭と描かれています。)

江戸名所図会」(画像は国立国会図書館ウェブサイトより取得)・「西本願寺-1」(築地本願寺は、1679年に再建当時、「築地御坊」と呼ばれるようになった。なお、このときの本堂は西南(現在の築地市場)を向いて建てられ、場外市場のあたりが門前町となっていた(wikipedia・本願寺築地別院より)。図会の下側に築地川(南支川)が、本堂の右側に岡山藩中屋敷前の掘が描かれている。]

カメラ位置は備前橋跡で、備前橋は築地川・南支川に架かっていた橋で、カメラ東北東方向に備前橋の欄干と親柱が保存されています。また、カメラ北方向が岡山藩中屋敷跡になります。

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