徳島藩蜂須賀家(築地)中屋敷跡

マーカーは徳島藩蜂須賀家中屋敷跡です。

関連リンク - 徳島藩蜂須賀家上屋敷跡徳島藩蜂須賀家中屋敷跡徳島藩蜂須賀家下・抱屋敷跡徳島藩蜂須賀家下屋敷(雀林荘)跡徳島藩蜂須賀家下屋敷(砂村屋敷)跡

[徳島藩中屋敷については『江戸藩邸沿革』に次のように記されている。
一、中屋敷 南八町堀 京橋区新栄町及新湊町付近
相対替宝暦八(1758)年五月六日、坪数未詳
府内沿革図書、宝暦八寅年五月、和泉屋敷相対替ニテ松平阿波守屋敷ニ成。
相対替屋敷書抜、宝暦八年五月七日松平和泉守拝領下屋敷、南八丁堀九千八百七拾八坪松平阿波守え、阿波守拝領下屋敷深川五千坪、松平和泉守え、相対替(呈譜五月六日ニ作ル)
府内沿革図書(記事省略)
相対替屋敷書抜、安政五(1858)年四月廿八日、西尾隠岐守下屋敷南八丁堀千弐百坪余、松平阿波守え、阿波守下屋敷目黒白金八千九百坪之内百坪、松平大蔵少輔え、三方相対替。
文政天保(1818-1830-1844年)ノ交中川修理大夫下屋敷編入。相対替屋敷書抜欠本ニ付顛末詳ナラズ。(市街篇四旧 – 四三〇頁)
『続道聴塗説』三編下に、文政十二(1829)年三月の大火に類焼したことを記して
「南八丁堀下屋敷不残類焼。土蔵十三ケ所焼申候。在国ニ付家来より御届  松平阿波守」
とあり、蔵屋敷だったことが知られる。  (「29.切絵図考証一六 安藤菊二(PDFファイル:1328.58 KB)」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内往還其外沿革図書. 七」(コマ番号89/147「享保二十(1735)年之形」右ページに松平和泉守と記述されています。コマ番号90/147「安永年中(1772年-1781年)之形」の右ページ、松平和泉守屋敷地が松平阿波守(蜂須賀宗鎮)と記述されています。コマ番号95/147「天保五(1834)年之形」で中川修理大夫の屋敷地が松平淡路守屋敷地に取り込まれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内往還其外沿革図書. 七之二(文化五・1808年)」(絵図四つ切右下に松平阿波守が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 築地八町堀日本橋南絵図(嘉永二年・1849年)」(絵図中央付近・松平阿波守が徳島藩蜂須賀家で、その右上に三方相対替の対象になると思われる西尾隠岐守中屋敷が描かれています。)

京橋南芝口橋築地銕炮洲邉絵図 / 玉香園主人 [編](嘉永6[1853])」 – 「請求記号:文庫10_08631 4カット」(絵図左下に松平阿波守中屋敷が描かれ、その右下に三方相対替の対象になると思われる西尾隠岐守中屋敷が描かれています。)

徳島藩蜂須賀家下屋敷跡中心付近で、カメラ方向右が鉄砲洲児童公園、左が中央区立中央小学校です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*