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新橋
[町名の新橋は、汐留川(新橋川)に架かっていた「新橋」(東海道の橋)に由来する。(現在の中央区銀座八丁目交差点南側)
1710年(宝永7年) ここに芝口御門が造られた事により新橋が芝口御門橋と改称される。また、この頃までに新橋地区は芝口一-四丁目・源助町など町屋として成立し、町奉行支配となる。1724年(享保9年) 芝口御門が消失。以後も門が再建されなかったため、芝口御門橋は再び新橋の名に戻った。 (wikipedia・新橋 (東京都港区)より)]
「「資料館だより」第77号(2016.3.1発行)PDFダウンロード9.3MB – 新橋 橋と町並の今昔」
「武州豊嶋郡江戸〔庄〕図 – 国立国会図書館デジタルコレクション(1624-1643・寛永年間」[絵図中央下に八丁堀舟入の左に三十間堀が描かれ、三十間堀の左に新橋が描かれています。]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 築地八町堀日本橋南絵図(嘉永二年・1849年)」(絵図左上に新橋が描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔〔江戸切絵図〕. 芝愛宕下絵図(嘉永三年・1850年)」(絵図右上・芝口橋が新橋です。)
「江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「新橋汐留橋」(2-44)、「新橋解説・左ページ中」(2-47)
新橋汐留橋(拡大図)
[図絵の汐留川に架かる左の橋が新橋で右の橋が汐留橋です。汐留川に流入する水路が三十間堀です。]
「東海道名所図会. 巻之1-6 / 秋里籬嶌 [編]」・「京橋新橋佃田島住吉築地御堂愛宕社」(6-78)[京橋から新橋方向の鳥瞰図で、図会右ページ中央が新橋です。]
狂歌江都名所図会 – 新橋(拡大図)
カメラ南東方向に、旧新橋の親柱が記念碑として残されています。