明石橋跡

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明石橋
[合引川(築地川・明石堀)が隅田川に注ぐ河口に架けられた橋で、延宝8年(1680)に架けられた。隅田川の川風にさらされることから別名を「寒さ橋」とも言う。築地居留地が出来ると、その出入り口として関門が設けられた。橋の上流は明石堀とも呼ばれ、昭和45年(1970年)に埋立てられ、現在はほぼそのままの形で、あかつき公園となっている。(「江戸切絵図散策」より]

[むかし、明石町は大川(隅田川)の河口にのぞむささやかな一角であった。明暦の大火(1657年1月)以後、木挽町東部の築地埋立てのすすむなかにあって、そこには播州明石の漁民が移住したといわれ、対岸の佃島淡路島にたとえたといわれるが、いずれにしてもその名のおこりは、居住者の生業にかかわり、景観につながっている。合引川(築地川東支川・明石堀)の出口に明石橋が架けられたのは、廷宝8年(1680年)のこと、徳川綱吉が五代将軍となった年である。
 京橋川三十間堀川汐留川にかこまれた地域は、その大半が武家地だった。町人地は河口ぞい、掘割ぞいに細長くつづいていただけである。江戸時代末期にいたるまでその区画はかわっていない。京橋川の稲荷橋から明石橋まで、俗に鉄飽洲とよばれたこのあたりは、たとえば文久元年(1861年)の切絵図では、本湊町、船松町、同二丁目、十軒町とつづき、その端に明石町が小さな一角をみせている。  (「東京・遠く近きを読む(22)築地明石町(2) – 東京 DOWNTOWN …」より)]

築地明石橋と東京税関(東京運上所) | 中央区 今昔物語 | 地域密着型 …

資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 築地八町堀日本橋南絵図」(絵図四つ切左下・中央付近に明石橋が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 京橋川筋南之方芝口橋川筋限木挽町築地鉄砲洲辺迄一円之絵図 : 天保九年」(絵図右中央上方向に「明石橋」が描かれています。)

京橋南芝口橋築地銕炮洲邉絵図 / 玉香園主人 [編]」・「bunko10_08631_p0003.jpg

江戸方角安見図鑑」・「ru11_01312_0001_p0028.jpg

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「寒橋」(2-39)
寒橋(拡大図)

[図会は明石橋(寒橋)から西本願寺(築地本願寺)方向を描いています。]

カメラ南東方向、「みずたき 治作」に向かって明石橋が架かっていた。

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