本願寺橋(小田原橋)跡

マーカーはカメラ位置です。

本願寺橋(小田原橋)
[小田原橋は江戸時代には本願寺橋と言われ、本願寺表門通にあり、築地川の東支川と南支川の交点の南支川に架かっていた。東支川と南支川は本願寺橋下流で合流して、南西方向・波除稲荷神社の西側を流れ隅田川に合流していた。]

[小田原橋が最初に架橋された時期は明らかではありませんが、延宝7年(1679)の『江戸方角安見図鑑(えどほうがくあんけんずかん)』には、橋名の記載は無いものの、現在と同じ位置に橋が描かれており、延宝元年(1744)の『寛保沽券図(かんぽうこけんず)』に「南小田原町橋」と記されています。また、江戸町方の名主が残したとされる備忘録『重宝録(ちょうほうろく)』によると、天保13年(1842)1月の
調べでは、橋の長さ11間(約20m)、幅3間(約5.5m)とあります。橋の西詰には築地の本願寺があり、南小田原町から本願寺の総門に通じる橋であったので、「本願寺橋」や「門跡橋」とも呼ばれ、本来は築地川南支川(築地堀)に沿って今より少し上流に位置したとも伝えられ、幾度かの架け替えを経て今日にいたったようです。大正12年(1923)9月に発生した関東大震災の復興過程で、当時の東京市昭和4年(1929)10月に架橋したものが最後の小田原橋です。築地川は、昭和35年5月に首都高速道路を建設するために埋めたてが許可され、橋の上流側は昭和54年、下流側は同58年から埋め立てが始まり、平成10年(1998)5月に東支川の築地市場に面した箇所も埋め立てられました。こうした中、橋としての機能を失っていた小田原橋は、築地場外地区の交通環境の改善のため、平成25年に撤去されました。  (「新規収蔵資料 – 小田原市」より)]

本願寺橋(小田原橋)資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 築地八町堀日本橋南絵図(嘉永二年・1849年)」(絵図・本願寺下左に本願寺橋が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 京橋川筋南之方芝口橋川筋限木挽町築地鉄砲洲辺迄一円之絵図 : 天保九年」(絵図中央右「本願寺」右下に「本願寺橋」が描かれています。)

京橋南芝口橋築地銕炮洲邉絵図 / 玉香園主人 [編]」・「bunko10_08631_p0003.jpg

江戸方角安見図鑑」・「ru11_01312_0001_p0028.jpg

江戸名所図会」・「西本願寺-1」(築地本願寺は、1679年に再建当時、「築地御坊」と呼ばれるようになった。なお、このときの本堂は西南(現在の築地市場)を向いて建てられ、場外市場のあたりが門前町となっていた(wikipedia・本願寺築地別院より)。図会の下側に築地川(南支川)が描かれている。]、「西本願寺-2」[図会は築地本願寺表門付近で、図会左下に築地川(東支川)が、右下に築地川(南支川)に架かる本願寺橋が描かれている。]

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「西本願寺-1」(2-40)、「西本願寺-2」(2-41)

カメラ位置は本願寺橋付近で、カメラ北東方向が築地川(南支川)です。また、カメラ南東方向が波除稲荷神社で神社の南西側を築地川(東支川)が流れていた。

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