軽子橋跡

マーカーはカメラ位置です。

軽子橋
[前稿で築地川が直角に流れを曲げて直ぐに架かっているのが昭和4年に架橋された入船橋と書いたが、写真は逆に現在の入船橋から築地川跡を明石方面に見たものとなる。こちらから見ると築地川は直角に右に流れを変え、曲がり部分の川底が運動公園に、その先の木々が見える辺りからが築地川公園になっている。運動公園から築地川公園に上がる階段が見えるが、その先でマンションの狭間で低くなっている先に明石小学校がある。震災復興東京全図によると、この階段を上がった辺りには軽子橋の表記が見られるが、多くの橋が震災復興橋梁として架け替えられた中で、この軽子橋は震災復興事業で撤去されてしまっている。軽子というのは荷揚げ作業に従事した人の呼び名で、河岸名こそ記録にはないがこの近くで築地川からの荷揚げが行われていたことを示すものだろう。  (「268 明石有情-10.築地川軽子橋 : essay bibliophobia」より)]

軽子橋資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 築地八町堀日本橋南絵図」(絵図中央・中川修理大夫上屋敷上に軽子橋が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 京橋川筋南之方芝口橋川筋限木挽町築地鉄砲洲辺迄一円之絵図 : 天保九年」(絵図四つ切右上「中川修理太夫」左に「軽子橋」が描かれています。)

京橋南芝口橋築地銕炮洲邉絵図 / 玉香園主人 [編]」・「bunko10_08631_p0003.jpg

江戸方角安見図鑑」・「ru11_01312_0001_p0028.jpg

カメラ西北西方向に軽子橋が架かっていた。カメラ南西方向が築地川公園デイキャンプ場で、カメラ北北西方向・元築地川底が運動公園になっています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*