福岡藩黒田家中屋敷跡

マーカーは衆議院赤坂議員宿舎です。

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赤坂福吉町
[江戸時代初期には筑前福岡藩黒田氏、肥後人吉藩相良氏下総結城藩水野氏(元禄年間(1688~1704年)以前は土方家屋敷)の邸地であった。
1872(明治5)年、3藩邸を合併して起立。町名は、福岡の「福」と人吉の「吉」を採った(府志料、案内)。縁起の良い町名ということで当時人々の間で評判であった。  (「【赤坂①014】赤坂福吉町 | 江戸町巡り」より)]

福岡藩黒田家中屋敷
[「黒田之天神」とは、福岡藩黒田家の中屋敷にあった天満宮のことです。
江戸には邸内社を公開している武家屋敷が数多くありましたが、黒田家の天満宮もその一つでした。そうした邸内社の中でも、とくに参詣人が多く名を知られていたのが、水天宮(赤羽橋の久留米藩邸)金毘羅社(虎ノ門の丸亀藩邸)です。福岡藩の場合は国元の太宰府天満宮の「模(うつ)し」として、中屋敷赤坂邸内に同社が建てられ、一般公開されていました。  (「『写真のなかの江戸』を歩く 第22回 | ユウブックス」より)]

[黒田藩中屋敷は赤坂に住むものにとって東に広がる小高い丘になっており、かつてはこんもりとした森、緑の空間でもあったのです。その空間が大きく変わり始めたのは、昭和40年代から50年代、バブル時代に差し掛かろうとしている時だったかもしれません。そうなる前は、高台が住宅地で緑は深く、坂を下りた低い部分は歓楽街、花柳界と棲み分けていた赤坂。花柳界に寄り添うように黒田さんの山は存在していました。赤坂人にとっては「黒田さんの山」と黒田さんの屋敷は赤坂のシンボルでもあったのです。まだ、マンションに建て替わる前、氷川神社の祭礼には神輿が立ち寄り、振る舞い酒もあったと聞いています。そんな馴染みの黒田藩の中屋敷の話でした。また、屋敷内には福岡から太宰府天満宮も屋敷内に遷宮され、江戸の庶民に公開されてお参りする人も多かったとか。明治時代になっても屋敷内に存在していたとのことでした。今はすっかりビルの林立する山になっています。  (「赤坂街歩きの会 – JUGEM」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション - 赤坂溜池今井台麻布竜土青山辺一円絵図 : 天保元年(1831年)調」[絵図中央上に松平備前守(黒田斉清)と描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 赤坂絵図(嘉永三年・1850年)」[絵図中央上に松平美濃守(黒田長溥)上屋敷が描かれています。]

東京市拾五区区分全図 第六 赤坂区全図 – 特別区協議会」(地図四つ切右下に福吉町が描かれています。2番地以外が福岡藩黒田家中屋敷跡になります。)

カメラ位置は榎坂交差点付近で、カメラ西北西方向が福岡藩黒田家中屋敷門があったと思われます。