紀伊家上屋敷跡(東宮御所、迎賓館)

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    紀伊家上屋敷跡(東宮御所,迎賓館)
    [寛永9年(1632年)拝領。145,381坪あり、紀州藩江戸屋敷の中で最大規模。当初は中屋敷でしたが、当時の上屋敷・麹町邸文政6年(1823年)の火事で焼失した後は実質上の上屋敷となりました。
    明治4年(1871年)廃藩置県で和歌山県知事を免職となった旧紀州藩主徳川茂承夫妻が和歌山から上京(旧藩主は華族となり東京に集められたため。)して住まわれたのはこの赤坂邸でした。
    明治6年(1873年)皇居として使用されていた江戸城西の丸が火事で焼失したため、茂承は即日参内、赤坂邸を帝室に献納、後日、金2万円を賞賜されました。
    その後、明治天皇は先帝孝明天皇の皇后英照皇太后を手近にお迎えしたいとのことで、茂承は自分達の住んでいた赤坂邸の南西部(後の青山御所)の地所も渡してしまいました。
    明治21年(1888年)新皇居が落慶するまで、この赤坂邸を皇居として明治天皇がお住いになりました。恐らく、旧藩邸が皇居となったのは紀州藩江戸屋敷だけではないでしょうか。
    なお、茂承は明治6年に麻布区飯倉6丁目14番地の土地(上杉伯爵邸)を購入し引き移った。  (「紀州 in 東京(紀州藩江戸屋敷) – 和歌山社会経済研究所 | レポート」より)]

    [徳川家康の十男徳川頼宣を家祖とし、常陸国主家(常陸藩)として設立、駿府藩を経てその後は紀州藩歴代の藩主であった(常陸藩は頼宣の同母弟徳川頼房の子孫が代々治めたが水戸徳川家は当初、紀伊徳川家の分家の松平家として設立されたものであった)。第5代藩主吉宗と第13代藩主慶福が、それぞれ第8代将軍徳川吉宗、第14代将軍徳川家茂となっており、徳川御三家のうちで征夷大将軍を輩出した唯一の家である。紀州家の支系(御連枝)は、伊予国西条藩の西条松平家のみだが、吉宗が徳川将軍家の後嗣に入り新たに御三卿田安徳川家一橋徳川家。のちに清水徳川家が加わる)を創始したことによって紀州家の血筋は大いに繁栄した。吉宗以降の将軍家・御三卿からさらに大名家に養子に出た者も非常に多い。  (wikipedia・紀州徳川家より)]

    [迎賓館東門:もともとは紀州藩徳川家中屋敷(※紀尾井町にあった)の建物の一部でしたが、明治末期に移築改修され、現在は迎賓館の東門として使われています。  (「港区ゆかりの人物データベースサイト 迎賓館(旧赤坂離宮)」より)]

    資料リンク
    国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 赤坂絵図」(絵図左に紀伊殿と描かれています。)、「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 赤坂絵図」(絵図右上に紀伊殿と描かれています。)

    迎賓館 赤坂離宮 – Google Map 画像リンク」、「赤坂迎賓館東門 – Google Map 画像リンク

    カメラ南方向が迎賓館正門です。

    カメラ初期設定方向が迎賓館です。

    カメラ位置は迎賓館庭園でカメラ北方向が迎賓館です。

    カメラ南西方向が迎賓館東門で、紀伊家中屋敷にあった表門を移築したものです。

    カメラ南東方向が東宮御所正門です。

    赤坂迎賓館
    [東京の元赤坂にある現在の迎賓館の建物は、東宮御所として1909年(明治42年)に建設された。鹿鳴館などを設計したお雇い外国人建築家ジョサイア・コンドルの弟子にあたる宮廷建築家片山東熊の設計により、元紀州藩の屋敷跡(明治6年宮城火災から明治21年の明治宮殿完成までの15年間、明治天皇の仮御所が置かれていた。)に建てられた。しかしそのネオ・バロック様式の外観があまりにも華美に過ぎたことや、住居としての使い勝手が必ずしも良くなかったことから、皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)がこの御所を使用することはほとんどなかった。嘉仁親王が天皇に即位した後は離宮として扱われることとなり、その名称も赤坂離宮と改められた。
    その大正天皇の皇子・皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)と良子女王(後の香淳皇后)との婚儀が1924年(大正13年)成ると、その後の数年間、赤坂離宮は再び東宮御所としてこの一家の住居となったが、裕仁親王が天皇に即位した後は離宮として使用されることも稀になった。終戦時には高松宮宣仁親王が昭和天皇に、皇居を出て赤坂離宮へ移り住むことを提案したが、天皇は使い勝手が悪く経費がかさむとして拒否している。
    第二次世界大戦後、赤坂離宮の敷地や建物は皇室から国に移管され、国立国会図書館(1948–61年)、法務庁法制意見長官(1948–60年)、裁判官弾劾裁判所(1948–70年)、内閣憲法調査会(1956-60年)、東京オリンピック組織委員会(1961–65年)などに使用された。
    その後国際関係が緊密化して外国の賓客を迎えることが多くなり、またそれまで迎賓館として使用していた東京都港区白金台旧朝香宮邸(現・東京都庭園美術館)は手狭で随行員が同宿できないといった支障があったため、1962年(昭和37年)に当時の総理池田勇人の発意によって新たに迎賓施設を整備する方針が閣議決定された。
    これを受けて、池田とその次の佐藤栄作のときに政府部内で検討を重ねた結果、旧赤坂離宮を改修してこれを迎賓施設とすることが、1967年(昭和42年)に決定された。こうして5年の歳月と108億円(工費101億円、内装費7億円)をかけて、本館は村野藤吾、和風別館は谷口吉郎の設計協力により、1974年(昭和49年)3月に、迎賓館が完成した。新装なった迎賓館に迎えた最初の国賓は、現職のアメリカ合衆国大統領として初来日したジェラルド・フォードだった。
    2006年(平成18年)2008年にかけては、大規模な改修工事が行われている。
    2009年(平成21年)12月8日、旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)として国宝に指定、明治以降の文化財としては初の国宝となった。
    赤坂迎賓館・wikipedia-photo、噴水・wikipedia-photo、主庭・wikipedia-photo、国会図書館として使用されていた当時・wikipedia-photo  (wikipedia・迎賓館赤坂迎賓館より)]

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