旗本青山備中守中屋敷跡(高橋是清翁記念公園、カナダ大使館)

マーカーは高橋是清翁記念公園です。

[青山家
5,500石
摂津国川辺郡武庫郡下総国香取郡海上郡
寛永20年(1643年)、摂津尼崎藩青山幸成の次子・青山幸通が本藩より分知される。  (wikipedia・おもな旗本寄合の一覧より)]

青山幸成
[天正14年(1586年)、徳川氏の譜代家臣・青山忠成の四男として浜松で誕生。慶長4年(1599年)に元服して徳川秀忠の近侍として仕えた。慶長7年(1602年)、下総国印旛郡で500石を与えられた。慶長19年(1614年)からの大坂の陣にも参加し、元和5年(1619年)には書院番頭・小姓・10人組頭・評定衆に任じられ、常陸国新治郡筑波郡などで1万石を与えられ、以前からあった所領とあわせて1万3000石の大名となった。
寛永10年(1633年)2月3日、遠江掛川藩に2万6000石に倍増された上で移封される。寛永12年(1635年)7月28日には5万石に加増された上で摂津尼崎藩に移封された。幸成は藩政の基礎を確立するため、儒者を招聘して文学を奨励し、大庄屋制度を制定し、積極的な新田開発を行なって4000石を新開発した。寛永17年(1640年)には讃岐国高松藩主・生駒高俊改易を伝える使者を務め、その後の寛永19年(1642年)4月の松平頼重の高松藩入封にも協力している。
しかし直後の8月から病に倒れた。寛永20年(1643年)1月には3代将軍・徳川家光の見舞いを受けたが回復せず、次男・幸通、三男・幸正、四男・幸高にそれぞれ3000石、2000石、1000石を分与して青山3分家を創設した上で、2月16日に死去した。享年59。
家督は長男・幸利が継ぎ、所領は弟に分与したため4万8000石となった。  (wikipedia・青山幸成より)]

延享3年に熊谷宿で、青山備前守と松平大膳大夫の予約が重なった事件を、遠藤右近将監が書き残している。この3者がどのような人物であったか、経歴や石高などを知りたい。レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

高橋是清翁記念公園
[高橋是清翁記念公園(たかはしこれきよおうきねんこうえん)は、東京都港区赤坂七丁目3番39号にある公園。
第20代日本国総理大臣・高橋是清の邸宅跡であり、昭和13年(1938年)に高橋是清記念事業会が東京市に寄与し、昭和16年(1941年)に記念公園として開園したものである。
1950年(昭和25年)、公園は港区に管理移行され、現在に至る。
邸宅は移築され、都立小金井公園内の「江戸東京たてもの園」で公開されている。赤坂の旧高橋邸は赤坂御所と対面する青山通り沿いにあって敷地は約2,000坪、現在公園に隣接しているカナダ大使館も往時は高橋邸の一部であった。
面積:5,320.62平方メートル
施設:日本庭園、石橋、石人像、石灯篭
最初の赤坂区役所跡
かつて赤坂区(昭和22年に港区が成立する以前の区。現・港区の北部)の役所が置かれていた地に記念碑が立てられている。1974年(昭和49年)に設置された。
入口・wikipedia-photo、「公園内にある日本庭園。晩秋には紅葉が美しい」・wikipedia-photo、庭園・wikipedia-photo、石碑・wikipedia-photo  (wikipedia・高橋是清翁記念公園より)]

資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション - 赤坂溜池今井台麻布竜土青山辺一円絵図 : 天保元年(1831年)調」(絵図四つ切左下・青山安三郎と描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 赤坂絵図(嘉永三年・1850年)」[絵図左端中央付近に青山備中守中屋敷が描かれています。また、屋敷地の南端に志んサカ(新坂)が描かれています。]

東京都立図書館アーカイブ – 元治再刻今井谷市兵衛町赤坂全図(出版年-元治2[1865]再板)」(絵図左端中央付近に青山備前守中屋敷が描かれています。)

東京都立図書館アーカイブ – 東亰市赤坂區全圖(出版年-1907.3)」(絵図中央右上・赤坂離宮現在の南門警備派出所左下に青山備中守中屋敷跡が描かれています。)

高橋是清翁記念公園 – Google Map 画像リンク

カメラ南南東方向が高橋是清翁記念公園入口で、入口右がカナダ大使館です。

高橋是清翁記念公園内のカメラです。

高橋是清像前のカメラです。