麻布箪笥町

マーカーは麻布箪笥町です。

麻布箪笥町
[寛永(かんえい)8年(1631)、江戸幕府にはじめてお御箪笥奉行がおかれ、所属の同心が屋敷を設け町人を置くようになり御箪笥町となりました。明治維新直後、御箪笥町の御の字が除かれ箪笥町となりましたが、明治2年(1869)に麻布谷町(あざぶたにまち)に合併されました。その後分離独立し麻布箪笥町となりました。  (「港区公式ホームページ/麻布地区の旧町名由来一覧」より)]

[六本木から溜池に向かう六本木通りの斜面沿いの谷を中心にした町。南西は六本木の尾根で北東が谷町の谷で低くなり、南東は市兵衛町の尾根になる。現在の六本木一丁目の一部、六本木二丁目の一部、六本木三丁目の一部で構成される。西から北は今井町と、北東面で谷町と、東から南は市兵衛町と接する。
江戸初期に幕府に初めて御箪笥奉行がおかれ、その所属同心が現在の六本木通りに面した場所に屋敷を受けた際に町人を置く許しを得たのがはじまり。江戸時代は御箪笥町と、「御」の字が冠せられていた。
寛永8(1631)年に御箪笥奉行を命じられ、山本与九郎の組10人、加藤伝兵衛の組10人の合計20人が箪笥組同心に召し出され、同10年3月に屋敷を拝領した。その際に願い出て町人を置いたが、寛文8(1668)年に新地奉行から表店は禁制と申し渡されたため、垣を巡らせて内店にして貸したという。
元禄9(1696)になってようやく町役を勤め表町家にすることを許されて代官支配となり、御箪笥町として正式に成立した。江戸期にこの周辺に勘助畑の里俗名があったというが詳細は不明である。
明治維新直後に「御」の字が除かれ箪笥町となったが明治2(1869)年に麻布谷町に合併される。しかし翌年に再度分離・独立、明治5年には周辺の武家地を合併し、町域が完成した。
もともと箪笥町の町屋が集まっていたのは町の西北部の通り(現在の六本木通りの一本裏)であったが、現在の六本木通りが明治に入ってから開通すると、両側に商店が出きて活況を呈し、町の中心は北西部から六本木通り沿いに変化した。戦前戦後を通じて町の東側は中小住宅が並ぶ地区であった。  (「麻布箪笥町 – 麻布細見(azabusaiken.ttcbn.net)」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 赤坂絵図」(絵図中央付近・真田信濃守中屋敷右方向に御箪笥丁が描かれています。)

カメラ位置は六本木一丁目交差点で、カメラ南南西方向、六本木通りを含む両サイドが麻布箪笥町になります。