マーカーは南千住砂場です。
南千住砂場
[大坂系の砂場
名称の由来は、大坂城築城に際しての資材置き場のひとつ「砂場」によるものとされる。正確な創立年代はわかっておらず諸説ある。うち最も古い説では大坂城築城開始の翌年の1584年としているが、この説については食文化史から疑問が提示されている。ほぼ確実といえるものとしては、1757年に出版された『大坂新町細見之図澪標』の記載で、この中に「和泉屋」「津国屋」の2軒の麺店があったとされる(1584年創業説を取っているのは「津国屋」である。和泉屋については、1730年に出版された別文献にも、店頭風景が掲載されている)。この2軒について、場所名で呼ぶことが定着し、「す奈バ」(砂場)の屋号が生まれたものと考えられている。
江戸への進出時期についても明確な記録はないが、1751年に出版された『蕎麦全書』に「薬研堀大和屋大坂砂場そば」の名称が、1781年-1789年に出版された『江戸見物道知辺』に「浅草黒舟町角砂場蕎麦」の名称が、それぞれ見られる。ただし大坂の砂場との関係は明らかではない。江戸末期の1848年に出版された『江戸名物酒飯手引草』には、6軒の「砂場」が紹介されている。
東京都荒川区の南千住(三ノ輪)、商店街「ジョイフル三ノ輪」の中にある。江戸時代に記録がある「糀町七丁目砂場藤吉」が移転して存続したもの。建物は1954年の木造建築で荒川区の文化財指定を受けている。
なお、糀町七丁目砂場藤吉からは、幕末に室町砂場(旧本石町砂場)・明治初期に虎ノ門砂場(琴平町砂場)が分岐している。うち虎ノ門砂場の建物は、戦災を免れた1923年建築の木造三階建てのもの。
「南千住砂場・1954年建築で荒川区の文化財」・wikipedia-photo (wikipedia・砂場_(蕎麦屋)より)]
「砂場総本家 (すなばそうほんけ) – 三ノ輪橋/そば [食べログ]」
カメラ北東方向が南千住砂場です。