松吟寺(お化け地蔵)

マーカーはお化け地蔵です。

松吟寺(お化け地蔵)
[曹洞宗寺院の松吟寺は、寛永2年総泉寺の寺中末として創建しました。境内には、もと総泉寺のお化け地蔵があり、総泉寺移転時、当寺に遺されたものと推定されます。
松吟寺は、寛永2年に総泉寺の庵室松吟庵として創建、前永平勅特賜大智恵光禅師円月江寂が中興開山したといいます。
お化け地蔵
「お化け地蔵」の名には、かつて大きな笠をかぶり、その笠が向きをかえたから、あるいは高さ3メートル余りの並はずれて大きいからなど、いくつかの伝承がある。この辺りは、室町時代以来、禅宗の名刹総泉寺の境内地であった。門前一帯を浅茅ヶ原といい、明治40年刊「東京名所図会」には「浅茅ヶ原の松並木の道の傍らに大いなる石地蔵ありしを維新の際並木の松を刈りとり、石地蔵は総泉寺入口に移したり」とあり、「当寺入口に常夜灯あり、東畔に大地蔵安置す」とも記している。お化け地蔵の台石によれば、この石仏は享保6年(1721)の建立。関東大震災で二つに折れたが、補修し現在にいたっており頭部も取りかえられている。常夜灯は、寛政2年(1790)に建てられた。総泉寺は、昭和4年板橋区へ移転した。「お化け地蔵」近くにある「元総泉寺境内諸仏供養の為」の碑は移転に際し建てられたものと思われる。(台東区教育委員会掲示より)  (「猫のあしあと – 松吟寺」より)]

資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 今戸箕輪浅草絵図」(絵図左端の中央下付近に総泉寺が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [45]貮拾貮下」(コマ番号6・地図下に総泉寺が描かれています。)

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「其三総泉寺砂尾不動同薬師」(17-32)、「妙亀山総泉寺解説・左ページ4行目より」(17-40)、「浅茅原解説・右ページ4行目から」(17-41)
其三総泉寺砂尾不動同薬師(拡大図)

[絵右上に今は廃寺となっている総泉寺が描かれています。]

松吟寺 – Google Map 画像リンク」、「お化け地蔵 – Google Map 画像リンク

カメラ東南東方向が松吟寺で、本堂左にお化け地蔵があります。

お化け地蔵前のカメラです。

お化け地蔵(Google Map 画像)

お化け地蔵案内板(Google Map 画像)

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