梅林寺

マーカーは梅林寺です。

梅林寺
[曹洞宗寺院の梅林寺は、華嶽山と号します。天室修悦(文禄3年1594年寂)が開山となり、龍源寺として小塚原(現荒川区南千住)に創建したと伝えられます。承応3年(1654)に当地へ移転、梅林寺と改号しました。境内には、江戸25天神のひとつ綱敷天満宮が祀られています。境内には、8代将軍徳川吉宗の命で、採薬師として諸国をめぐり、小石川薬草園を開園した阿部友ノ進の墓があります。

木造綱敷天神坐像
曹洞宗花嶽山梅林寺は、はじめ小塚原(現荒川区南千住)にあり、龍源寺と称していました。本像は、もと下総国里見氏の鎮守で、慶長の里見家没落の際、家臣が下総平井村(現江戸川区平井)に移し、やがて小塚原に祀られ、17世紀中頃に伊勢国亀山藩士が、主君の病気平癒祈願のため、小塚原の本像とともに龍源寺を現在地に移し、梅林寺と名を改めたといわれます。安政の大地震で、天満宮祠は全壊し、大正4年の勧進により建立、昭和42年本堂に移され現在に至ります。
本像は、ヒノキ材製で、像高20.8cm、髪際高17.1cm。束帯姿で、口をやや開き、顎髭を垂らし、眼をいからして綱座に坐る珍しいものです。室町時代末期に制作されました。
当寺には、九州菅原道真が、綱座を勧められ我が身の哀れを嘆いたところ、土地の者が「これは帆綱で自分には命綱だから都の敷物に決して劣らない」と諌めたという伝承があります。綱敷天神はみな忿怒形をしており、不遇に対して怒る道真を現します。しかし、江戸時代後期には、為永春水作『園の花』によると、梅林寺綱敷天神を除災招福の神として信仰するように変わったことがわかります。
本像は、秘仏であるため、一般には非公開です。(台東区教育委員会掲示より)  (「猫のあしあと – 梅林寺|台東区三ノ輪にある曹洞宗の寺院、綱敷天満宮」より)]

資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 今戸箕輪浅草絵図」(絵図右上・王子用水左で三ノ輪橋左下方向に永久寺、梅林寺が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [45]貮拾貮下」(コマ番号3/10・地図左方向の王子用水左に永久寺、梅林寺が描かれています。)

梅林寺 – Google Map 画像リンク

カメラ東方向が梅林寺です。

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