マーカーは橋場寺不動院です。
橋場寺不動院
[砂尾山橋場寺不動院は天平宝字4年(760)の開創で、浅草七福神の布袋尊が祀られています。 (「猫のあしあと」より)]
[橋場不動尊は、天平宝字四年、奈良東大寺大仏の建立に尽力した良弁僧正が、相州大山寺で、一刀三礼して刻まれた一木三体不動(一本の木で三体の仏像を彫る)の随一と称せられ、悪魔降伏の威想を備え、信ずる者には、必ず霊験を与え給う不可思議の尊像として、古来よりご秘仏としてあがめられています。江戸時代には橋場寺として、周辺の三条公、有馬侯、池田備前侯等をはじめとする武家屋敷の人々の尊信を集め、現在の本堂は江戸時代の建立で、小堂ながら美しく、江戸時代の特徴をよく現しています。明治末年の大火、関東大震災、戦炎などに、不動院を中心とした橋場の一角だけは、災禍を免がれたことから、「霊験あらたかな火伏せの橋場不動尊」として、信仰の的となっています。 (「橋場寺不動院ホームページ-1.橋場不動尊の大護摩」より)]
橋場寺不動院資料リンク
「国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [45]貮拾貮下」(コマ番号9・地図中央上、総泉寺下の王子用水左に不動院が描かれています。)
「江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「其三総泉寺砂尾不動同薬師」(17-32)、「砂尾不動院解説・右ページ4行目より」(17-40)
其三総泉寺砂尾不動同薬師(拡大図)
[絵右下に砂尾不動院が描かれています。総泉寺は板橋区に移転。]
「橋場寺不動院(橋場不動尊) – Google Map 画像リンク」
カメラ西北西方向が橋場寺不動院参道です。
カメラ西方向が橋場寺不動院本堂です。