正燈寺

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正燈寺
[正燈寺(正燈庵)(しょうとうじ)は、東京都台東区竜泉一丁目にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は東陽山。開基は譜代大名松平英親従五位下:市正)と外様大名溝口宣直(従五位下:出雲守)の二名。開山愚堂東寔(大円宝鑑国師)。
正燈寺(正燈庵)・wikipedia-photo  (wikipedia・正燈寺より)]

[正燈寺(台東区竜泉1-23-11)の創建は承応3年(1654)、江戸中期には、「もみじ寺」と呼ばれるほど紅葉で有名になった。『江戸名所図会』では「当寺の後園楓樹多し 其先山城高雄山の楓樹の苗を栽うると云ふ 晩秋の頃は詞人吟客こゝに群遊し 其紅艶を賞す」と説明している。楓樹(ふうじゅ)とは紅葉のことである。正燈寺の紅葉が、ほんとうに京都高雄の紅葉を運んだものだったとすれば、見事な紅葉だったに違いない。文人墨客が多く訪れたのも頷ける。小林一茶も、文化元年(1804)の秋、正燈寺、海晏寺を訪れそれぞれの紅葉を詠んだ句を残している。
この二つの寺が人気を集めたのは、紅葉の素晴らしさの他にも理由があった。海晏寺の近くには品川遊廓があり、正燈寺の近くには吉原が控えていた。紅葉狩りは、男たちのいい口実である。川柳に残されているように「海晏寺真っ赤な嘘のつきどころ」「紅葉狩り例年行けどもいまだ見ず」という輩もいた。
海晏寺も正燈寺も現存の寺だが、今は紅葉があまりなく、紅葉狩りのスポットとしては程遠くなってしまったのが残念である。海晏寺の紅葉は、理由は不明だが明治初期に伐採された。後に若木が植えられたが、現在はどうやら墓所になっているようである。正燈寺の紅葉は、江戸後期の『東都歳事記』によると半枯れ状態だったらしい。また、関東大震災空襲ですべてが焼き尽くされてしまったが、苦難を乗り越え再建された。歴史的にみれば、正燈寺の紅葉は江戸中期に最盛期を迎え、海晏寺の紅葉は江戸末期まで持ちこたえたということになろう。  (「江戸散策 | クリナップ」より)]

資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 今戸箕輪浅草絵図」(絵図中央付近の吉原の上方向、戸田采女正下屋敷の下に描かれる燈洞寺が正燈寺のようです。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内場末往還其外沿革圖書. [45]貮拾貮下」(コマ番号4/10・中央左方向戸田采女正下屋敷左に正燈寺と記述されています。)

正燈寺 – Google Map 画像リンク

カメラ西方向が正燈寺山門です。