浄閑寺

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マーカーは浄閑寺です。

浄閑寺
[浄閑寺(じょうかんじ)は東京都荒川区南千住にある浄土宗の寺院。吉原遊廓の近くにあり、遊女の遺体の「投げ込み寺」としても知られる。旧地名の「三ノ輪」(みのわ)から「三ノ輪の浄閑寺」と称されることも多い。
歴史
1655年(明暦元年)に創建され、吉原遊廓の誕生(1657年)よりも2年早い。寺のウェブサイトによると、浄閑寺が投げ込み寺と呼ばれるようになったのは安政の大地震(1855年)で大量の遊女が死亡した際にこの寺に投げ込んで葬ったことによる。
「病気などで死んだ遊女は吉原遊廓の場合、浄閑寺に『~売女』という戒名で文字通り投込まれた」という説もあるが、それを裏付ける資料は古文書には一切なく、「売女」の戒名は、「心中」「枕荒らし」「起請文乱発」「足抜け」「廓内での密通」「阿片喫引」など吉原の掟を破った者に限られていることが最近の研究で明らかになっている。この場合素裸にされた上に荒菰(あらごも)に包まれ、寺に投げ込まれた。「人間として葬ると後に祟るので、犬や猫なみに扱って畜生道に落とす」という考えによったとものとされている。
浄閑寺・wikipedia-photo  (wikipdia・浄閑寺より)]

小夜衣供養地蔵尊
[元々は境内にあったものが、現在は山門前に立っている。詳しいことはわかっていない。「悪い部分を撫でると良くなる」と言い伝えがあるようで、毎日のようにお参りの方が絶えない。  (「浄閑寺の史跡」より)]

ひまわり地蔵尊
[昭和57年(1982)12月11日建立開眼
創作者 倉田辰彦(群馬県出身)
発願主 山谷老友会
主旨 
 山谷には、労働に生き労働に老いて、ひとり淋しく人生を終る人が数多くいます。山谷老友会は、孤独の壁をこえて連帯し、はげましあい、またささえあってきましたが、死後の安心なしには、真の生活の安らぎがないところから、ひまわり地蔵尊の建立を思いたちました。ひまわりの花は、太陽の下で一生を働きぬいてきた日雇労働者のシンボルといえます。
 この地蔵尊は、倉田辰彦氏をはじめ、多くの方々のご好意と浄財が寄せられて実現したものです。
 榮法山浄閑寺廿五世暢譽代  (「東京都荒川区の歴史 ひまわり地蔵尊(浄閑寺)」より)]

資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [45]貮拾貮下」(コマ番号3/10・地図左方向に浄閑寺が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 今戸箕輪浅草絵図」(絵図右上・王子用水右で三ノ輪橋下に浄閑寺が描かれています。)

浄閑寺 – Google Map 画像リンク」、「新吉原総霊塔 – Google Map 画像リンク

カメラ北方向が浄閑寺で、山門左側に小夜衣供養地蔵尊が祀られています。

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