源空寺

マーカーは源空寺です。

源空寺
[浄土宗の源空寺は、五台山文殊院と号し、天正18年(1590)湯島に草創しました。境内には、高橋景保谷文晁幡随院長兵衛高橋至時伊能忠敬の墓があります。
源空寺の銅鐘は、総高が222cm、口径が130cmに及ぶ大型のもので、均整のとれた堂々とした形態です。寛永13年(1636)に源空寺初代住職の道阿霊門上人が、3代将軍徳川家光の要請をうけ徳川家康徳川秀忠の菩提を弔うために鋳造させたもので、作者は椎名勝十郎義定という人物です。銘文の中にある「大相国一品徳蓮社崇誉道和大居士」は徳川家康のこと。「大相国一品」は死後に朝廷より贈られた官位、「徳蓮社~」は徳川家の宗旨浄土宗の戒名、「台徳院殿一品大相国公」は秀忠の戒名の一部と官位です。また、家光については「淳和・奨学両院別当、氏長者、正二位、内大臣、征夷大将軍、源家光公」とあります。「氏長者」は源氏の統轄者であることを示し、その他はすべて朝廷から任ぜられた位や官職です。江戸時代の代々の将軍は、正式にはこのような長い肩書をもっていました。作者の椎名氏は徳川将軍家の御用鋳物師を務めた家柄。たとえば初代吉次は元和3年(1617)に上野寛永寺清水堂の鰐口、2代吉綱は慶安4年(1651)に上野東照宮の銅灯籠など、徳川家にゆかりの深い鋳物を製作しています。この銅鐘も徳川将軍家と関わりのあることから、作者「義定」も御用鋳物師椎名氏の一族であると考えられます。  (「猫のあしあと」より)]

資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 今戸箕輪浅草絵図」(絵図四つ切左上・「東本願寺添地」の右下に「源空寺」が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内場末往還其外沿革圖書. [43]貮拾貮上」(コマ番号3/10・絵図右下「門前町屋」上に「源空寺」が描かれています。)

源空寺 – Google Map 画像リンク

カメラ北方向が源空寺山門で、道路南側に墓所があります。

幡随院長兵衛
[幡随院 長兵衛(ばんずいいん ちょうべえ、元和8年(1622年) – 明暦3年7月18日(1657年8月27日))は、江戸時代町人町奴の頭領で、日本の侠客の元祖とも言われる。『極付幡随長兵衛』など歌舞伎講談の題材となった。本名は塚本伊太郎。
元は唐津藩武士・塚本伊織の子で、口入れ屋を営んでいたが、男伊達を競って乱暴を働く旗本奴と対立し、町奴の頭領となったとされていたが、長兵衛は滅亡した波多氏の旧家臣の子であるとする説もある。
江戸幡随院(京都の知恩院の末寺、1940年焼失し小金井(東京都小金井市)に移転)の裏に住んでいたため、幡随院長兵衛と呼ばれるようになった。1657年に旗本奴の頭領、水野成之(十郎左衛門)に湯殿で殺されたとされる。
「江戸時代後期に描かれた幡随院長兵衛のイメージ。歌川国芳『国芳もやう正札附現金男・幡随長兵衛』」・wikipdia-photo  (wikipedia・幡随院長兵衛より)]

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