真崎稲荷(石濱神社)

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    真崎稲荷(石濱神社)
    [石浜神社は、神亀元年(724)聖武天皇の命により創建したと伝えられる古社です。源頼朝藤原泰衡討伐の折に当社に祈願、大勝したことから社殿を造営されたといいます。浅草七福神寿老神です。  (「猫のあしあと」より)]

    [石濱神明宮の草創は古く、ご由緒によれば、聖武天皇の神亀元年(724)9月11日、願によって鎮座され、以来1280年余の歴史を持っていて、 文治5(1189)年、源頼朝が奥州平泉の藤原泰衡との戦いに勝利して帰国した際に御礼として社殿を造営したといわれています。南隣りには同じ鈴木家が神主を務めていた真崎稲荷社がありました。近くにあった石濱城主の千葉介守胤が、一族の繁栄を願って天文年間(1532~54)に建てたといわれています。戦場の先駆けたれ、という願いを込めて真っ先、真崎と名付けられたとか。祭神は倉稲魂命です。一橋徳川家祈願所となって庶民の出入りができなくなったといいます。かわりに奥宮として招来稲荷神社が設けられ、こちらの方が江戸の庶民に大人気で、門前の茶屋の田楽が評判でした。大正時代になって真崎稲荷が石浜神社の境内に移されました。昔の両社の真ん中に現在の境内が造営されています。  (「江戸の名所第8回 石濱神明宮・真崎稲荷社(石浜神社): 江戸検公式 …」より)]

    [石浜城址(石浜神社)
     石浜城は、室町時代の中ごろ、武蔵国千葉氏の居城となり、戦乱の世に100年あまり続いた城である。天正年間(1573-1591)、城主千葉胤村(北条氏繁三男)を最後に、後北条氏滅亡の後、廃城となったと思われる。石浜城の位置には諸説あるが、石浜神社付近は有力な推定地の一つとされる。
     石浜神社は、聖武天皇の時代、・神亀元年(724)の創建と伝える古社で、源頼朝・千葉氏・宇都宮氏らの崇敬を受けたという。江戸時代の夏越の祓(なごしのはらえ)(6月30日)は、その壮麗さにおいて名高く、天保9年(1838)刊行の「東都歳事記」の挿絵に夏の風物詩として紹介されている。   荒川区教育委員会]

    石浜神社ホームページ」 – 「年中行事

    真崎稲荷(石濱神社)資料リンク
    国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 今戸箕輪浅草絵図」(絵図右端下方向に真崎イナリが描かれています。)

    国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [45]貮拾貮下」(コマ番号6・地図下中央に真先稲荷が描かれています。また、真先稲荷の右に酒井雅楽頭抱屋敷が描かれています。「国立国会図書館デジタルコレクション – 隅田川御屋鋪全図」[酒井雅楽頭抱屋敷及び庭園図と追記解説文])

    (名所江戸百景・ 真崎辺より水神の森内川関屋の里を見る図ファイル:100_views_edo_036.jpg)

    江戸名所図会」(画像は国立国会図書館ウェブサイトより取得)・石濱明神宮

    江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「石濱明神宮」(17-30)、「朝日神明宮解説-1・左ページ左から4行目より」(17-34)、「朝日神明宮解説-2、真先稲荷明神社解説・右ページ左より5行目まで朝日神明宮解説、次の行から真先稲荷明神社解説」(17-38)

    「東都歳時記」・真先神明宮夏越祓.jpg

    東都歳事記. 巻之1-4,附録 / 斎藤月岑 編纂 ; 長谷川雪旦 図画 ; 松斎雪堤 補画」・「真先神明宮夏越祓」(3-33)

    石浜神社 – Google Map 画像リンク」、「冨士山遥拝所 – Google Map 画像リンク」、「石浜城跡 – Google Map 画像リンク

    カメラ北方向が真崎稲荷(石濱神社)参道です。

    カメラ北方向が真崎稲荷(石濱神社)拝殿です。

    真崎稲荷(石濱神社)拝殿前のカメラで、カメラ東方向に冨士山遥拝所があります。

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