六ヶ村分水(半兵衛・相澤堀)

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    Goo地図 昭和22年航空写真」[千川上水六ヶ村分水から竹下稲荷神社手前まで青梅街道に沿い、その後青梅街道から離れて(杉並区・練馬区区界と合致します。)分水路が捉えられています。また、上井草交差点からは暗渠になっていますが、井草八幡宮交差点右下に切り通し口分水が捉えられています。]

    六ヶ村分水(半兵衛・相澤堀)
    [「私が憶えている分水跡は、伊勢橋から荻窪方向に向かって青梅街道の右側を平行して堀が掘られ、竹下稲荷神社あたりで右に折れ善福寺方向へ向かっていました」と教えてくれました。前出『千川上水』には、「(同分水は交差点から)略々青梅街道に平行して走ってをり古い石橋も見られるが、二百米程行くと詞があり、こ々の前からはただ形ばかりの溝で、幅も狭く、昔の面影は見られない(後略)」と記しています。尾崎証言と一致します。この「分水」は伊勢(殿)橋付近から青梅街道に平行して流れていたことが、これで確認できました。  (「千川上水現況調査報告(平成16年3月発行)(PDF:7820KB) – 練馬区」より)]

    [青梅街道近くまで戻り、竹下稲荷神社の境内を横切り、東に向かう七ヶ村(六ヶ村)分水の流路を追います。→ 「竹下新田絵図」に見るように、稲荷社の東隣で上井草村境と接したあと、青梅街道に再び沿うまで、分水自体が村境となっていました。水路は失われましたが、村境は練馬区(関町南2丁目)と杉並区(善福寺4丁目)の境に引き継がれたため、容易にたどることができます。とくに後半の青梅街道に再接近するところは、杉並区の管理する細長いスペースが、百数十メートルにわたって連続しています。  (「上井草村境 – 神田川 「まる歩き」 しちゃいます!! – Gooブログ」より)]

    [その源流は多摩川で、江戸町民の飲料用として完成した玉川上水承応3年・1654)から分水した千川上水(元禄9年・1696開設)の飲料水を水田の灌漑用に使用するために、さらに分水して開削されたのがこの「半兵衛・相澤堀」である。当時、この用水が「半兵衛・相澤堀」と呼ばれていたのは、この用水の恩恵を受けた下井草村と阿佐ヶ谷村の名主であった「井口半兵衛」と「相澤喜兵衛」の名に由来すると考えられる。
    ●切り通し口 – 切り通し公園から旧井草川の水源に合流
    ●柄杓(ひしゃく)屋口 – 桃井1丁目19番、桃井公園の西側道路の少々街道に寄ったあたりから現存し、清水口からの水路と合して妙正寺川へ流入する。
    ●清水口 – 四面道交差点北から北東進し、NTT井草の東で柄杓(ひしゃく)屋口からの流路と合流して妙正寺川へ流入する。分配口は、四面道交差点の清水1丁目15番の郵便局(現在駐車場)と環八道路の排水施設建物の間の1メートルほどのコンクリートの段を上がったところから始まる。
    ●四面道口 – 唯一の南進コースである。四面道交差点南の環八道路に南西方向から来る観音御出(かんのんおんだし)と呼ばれた昔からの道がある。この道の北側2軒目の薪炭商、湯沢宅方の敷地西側隣家との境のコンクリートで固められた幅数十センチの余積地が用水堀からの分水路の名残りです。
    ●天沼口 – 桃園川の遊歩道として現在でも流路が100%残っている。堀からの流入部は、荻窪駅北口の青梅街道北側にある「りそな銀行」と「JTB旅行社」との間から始まる。
    ●阿佐ヶ谷口 – 青梅街道からの入路は明らかでないが、阿佐谷南3丁目10番と11番の境あたりと想像される。街道から北に離れた流路はやがて北に向きを変え、杉七小学校の周囲を廻ってJRの阿佐ヶ谷駅南口方向に向かって行くが、この小学校ができるまではこの校庭を横切って流れていたのではとも思える。
    駅南口を過ぎ線路下を潜って北側に出て、けやき屋敷の「相澤喜兵衛」邸の前を通り、東方のけやき公園で天沼口からの旧桃園川に合流となっている。  (「青梅街道に沿って流れていた「半兵衛・相澤堀」|すぎなみ学倶楽部」より)]

    [六ヶ村分水は功労者の名前を取って「半兵衛・相沢堀」とも通称され、千川上水から天沼口までの上流側を半兵衛堀、それより下流、阿佐ヶ谷口までの間を相沢堀とし、その分かれ目の天沼口を「追分」と呼ぶ。  (「始めにー杉並地内水路網(暗渠の迷宮) – 武蔵野と水辺 – 林檎倶楽部」より)]

    [杓屋(しゃくや)口、あるいは柄杓屋(ひしゃくや)口は、厳密な意味で同一かどうかはわかりませんが、寛政6年の→ 「星野家文書」で「八丁下井草村沓掛田養水口」と書かれていたものです。分水口は青梅街道の八丁通りと通称されるところにあり、付近に柄杓を商う店があったのでしょう。現在、青梅街道に直接面する個所の痕跡は失われていますが、二ブロック先の桃井公園の前から、車止め付の遊歩道が北に向かっています。途中、数回前に紹介した日産工場跡地(現桃井はらっぱ広場)からの水路と合流、東に向かって環八通りを越え、次回テーマの清水口(清水田養水口)からの流れを合わせ、妙正寺池を出たばかりの妙正寺川に流れ込みます。その間およそ1200mですが、大部分が車止め付の遊歩道となっていて、迷うことなくたどるのことができます。  (「杓屋口 – 神田川 「まる歩き」 しちゃいます!! – Gooブログ」より)]

    暗渠さんぽ: 1-6 さんぽ:千川分水

    第五章・第七節/阿佐ヶ谷川と呼ばれた流れ – 加瀬竜哉.com : no river, no …

    Goo地図 昭和22年航空写真」(阿佐ヶ谷駅東側水路画像が捉えられています。)