内藤新宿

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内藤新宿
[内藤新宿(ないとうしんじゅく)は、江戸時代に設けられた宿場の一つ。甲州街道に存在した宿場のうち、江戸日本橋から数えて最初の宿場であり、宿場内の新宿追分から甲州街道と分岐している成木街道(青梅街道)の起点でもあった。現在の住所では、東京都新宿区新宿一丁目から二丁目・三丁目の一帯にあたる。東海道品川宿中山道板橋宿日光街道奥州街道)の千住宿と並んで、江戸四宿と呼ばれた。地名から四谷新宿と呼ばれることもある。元禄10年(1697年)、幕府に対し浅草阿部川町(現在の台東区元浅草)の名主であった高松喜兵衛など5名の浅草商人が、甲州街道の日本橋 – 高井戸宿間に新しい宿場を開設したいと願い出る。請願を受けた幕府では、代官・細井九左衛門や勘定奉行荻原重秀などが審査にあたった。翌年6月、幕府は5600両の上納を条件に、宿場の開設を許可。 日本橋から二里弱の距離で、青梅街道との分岐点付近に宿場が設けられることとなった。宿場予定地には信濃国高遠藩内藤家中屋敷の一部や旗本の屋敷などが存在したが、これらの土地を幕府に返上させて宿場用地とした。
「内藤新宿の復元模型(新宿歴史博物館蔵)。画像奥が東で、四谷大木戸に至る。手前の分岐点が新宿追分。」・wikipedia-photo  (wikipediaより。詳細は内藤新宿でご覧ください)]

往時の甲州街道と玉川上水(新宿歴史博物館)。 手前のT字路が新宿追分(現在の新宿三丁目交差点)、最奥部に大木戸の水番所が見える。

広重「(名所江戸百景」に描かれた玉川上水(玉川堤の桜)。この場所は現在の新宿御苑の北縁(現在の新宿御苑正門付近)にあたる。

内藤新宿資料リンク
「名所江戸百景・四ッ谷内藤新宿wikipedia-photo

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 四ツ谷絵図」(絵図中下・内藤駿河守下屋敷の左に内藤新宿が描かれています。)、「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 内藤新宿千駄ヶ谷絵図」(絵図右下に内藤新宿が描かれています。)

江戸名所図会」(画像は国立国会図書館ウェブサイトより取得)・四谷内藤新宿

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「四谷内藤新宿」(9-9)、「内藤新宿解説・右ページ最終行から」(9-7)

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