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天龍寺
[天龍寺(てんりゅうじ)は、東京都新宿区新宿四丁目にある曹洞宗の寺院。山号は護本山。
かつては牛込付近にあり、上野の寛永寺が江戸城の鬼門鎮護の役割をしていたのに対し、天龍寺は裏鬼門鎮護の役割を帯びていた。天和3年(1683年)に現在地へ移転。新宿四丁目交差点の近くにあり、繁華街の只中で周囲をビルに囲まれた寺院である。
天龍寺の前身は遠江国にあった法泉寺とされる。法泉寺は徳川家康の側室である西郷局(於愛の方)の父、戸塚忠春(戸田忠春とも伝わる)の菩提寺であった。西郷局が後に江戸幕府第2代将軍となる徳川秀忠を産んだことから、家康の江戸入府に際し遠江国から現在の牛込納戸町・細工町付近に移された。同時に名を天龍寺と改めたが、これは法泉寺の近くを流れていた天竜川に由来する。天和の大火により焼失し、現在地へ移転した。江戸三名鐘の一つとされる梵鐘、「時の鐘」が現存し、大晦日には除夜の鐘でその音色を聞くことが出来る。渋谷川(穏田川)の源流のひとつであり、かつては境内に池があった(2011年現在も地下水が豊富である)。
文化財
●天龍寺の時の鐘 – 新宿区指定有形文化財(工芸品)。元禄13年(1700年)、第5代将軍徳川綱吉の側用人として重用された牧野成貞により寄進された「時の鐘」。現在の梵鐘は3代目で、明和4年(1767年)の鋳造である。寛永寺・市谷亀岡八幡宮の鐘と並び江戸三名鐘と称された。江戸の外れに存在したため、通常より早く鐘を鳴らし、内藤新宿で遊行する人々に「追出しの鐘」と呼ばれたという。
●天龍寺のやぐら時計 – 新宿区指定有形文化財(工芸品)。鐘を突く時刻を知るため、牧野成貞により同時期に寄進されたという時計。やぐら型の台に載せられており、上部には鐘、下部には歯車を回すための錘がある。時計の文字盤は明治以降の改修により24時間制のものとなっている。
本堂・wikipedia-photo
天龍寺の時の鐘・wikipedia-photo
(wikipedia・天龍寺_(新宿区)より)]
[もと牛込納戸町にあり、江戸城の表鬼門鎮護の上野寛永寺に対し、裏鬼門鎮護の寺とされた江戸の人々に時刻を知らせた「時の鐘」は江戸三名鐘の一つ。区文化財に指定されている。明和4年(1767)改鋳。この鐘をつくときの基にしたやぐら時計は同年寄進という。特に内藤新宿の盛り場で夜更けまで遊ぶ者には警鐘と聞こえたので、「追い出しの鐘」とも呼ばれた。この鐘の鐘楼は、木造瓦葺、四脚吹貫造で、大正4年に建立されたもの。現在の位置に移築したのは最近のことだが、基壇の石組も上部の建物も、建立当時のままの姿を残している。基壇は4メートル60センチ四方で、高さ1メートル、鐘楼は柱の間隔2メートル80センチで高さ4メートルあり、均整の取れた区内屈指の鐘楼である。 (「天龍寺 – 新宿観光振興協会」より)]
天龍寺資料リンク
「国立国会図書館デジタルライブラリー – 〔江戸切絵図〕. 内藤新宿千駄ヶ谷絵図」(絵図右方向(天龍寺右)・縦に玉川上水が描かれています。天龍寺の境内に穏田川の源水地が描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 江戸絵図. 9号」(コマ番号5/5・絵図四つ切右上の「天龍寺」が描かれています。)
カメラ東南東方向が天龍寺山門です。
カメラ東北東方向が天龍寺本堂で、カメラ南南東方向に鐘楼があります。