常圓寺

マーカーは常圓寺です。

常圓寺
[常圓寺(じょうえんじ、常円寺)は、東京都新宿区西新宿所在の日蓮宗寺院。山号は福聚山。奠師法縁(奠統会)。創建年代は不詳。1585年(天正13年)頃、渋谷区幡ヶ谷近辺より青梅街道沿いの現在地に移されたと伝わる。常円寺出身の僧には高僧が多く、日蓮宗の最高学府に当たる中村壇林の能下(学長に相当)などを輩出した。1945年(昭和20年)の戦災で諸堂、寺宝の多くを失ったが、順次復興した。
文化財
●三宝諸尊 – 戦災を免れ本堂に安置。徳川光圀寄進と伝わる。
●間感応胎蔵の祖師像 – 11代将軍徳川家斉の守護仏であったと伝わる。祖師堂に祀られている。
●仏眼御書 – 日蓮真筆の書状断簡。旧伊予国西條藩主松平家に秘蔵されていたが、2005年(平成17年)に常円寺へ寄贈された。
便々館湖鯉鮒狂歌碑 – 新宿区指定史跡
●1819年(文政2年)に建てられた、江戸時代中期の狂歌師、便々館湖鯉鮒(べんべんかんこりう)の狂歌を刻んだ碑。碑文は大田南畝の筆による。
筒井政憲の墓 – 新宿区指定史跡    (wikipedia・常円寺より)]

[日蓮宗の寺院で、天正13年(1585年)に日立上人によって創建されました。寺の広い中庭の植込みに見える石碑には、狂歌師便々館湖鯉鮒の「三度たく米さへこはし柔かし おもふままにはならぬ世の中」という狂歌が刻まれています。これは、大田南畝(1749~1823年)の筆によるもの。南畝は、狂歌・洒落本・滑稽本の作者として知られた人です。湖鯉鮒没後の翌年にこの石碑が建てられているため、追善の石碑と考えられます。また、本堂わきに並んだ七体の地蔵尊は、昭和5年に発覚した大久保町の「七乳児絞殺トランク詰め死体事件」の被害者の冥福を祈って建てられました。今日では、無縁行路死亡者および水子霊を合わせて供養する法要が営まれています。  (「常円寺 便々館湖鯉鮒狂歌碑 淀橋七地蔵 – 新宿観光振興協会」より)]

常圓寺 公式サイト」-「除夜の鐘 整理券

常圓寺のしだれ桜 – WATARIGRAPHIC

常圓寺 – Google Map 画像リンク

カメラ北東方向が常圓寺参道です。

資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [20]拾九貞」(コマ番号5・切絵図右上方向に常円寺敷地が描かれ、常円寺敷地の左が百人組同心大縄地(屋敷地)になっています。「組屋敷道 南町」が職安通り、「組屋敷道 仲町」が大久保通りと思われます。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 内藤新宿千駄ヶ谷絵図」(絵図右上隅下方向に常圓寺櫻ノ古木有と描かれています。)