成覚寺

マーカーは成覚寺です。

成覚寺
[成覚寺(じょうかくじ)は、東京都新宿区新宿二丁目にある浄土宗の寺院である。正式名は十劫山無量寿院成覚寺。靖国通りに面し、正受院と隣接している。
文禄3年(1594年)の創建と伝わる。江戸時代には、岡場所としても繁栄した内藤新宿飯盛女たちの投げ込み寺であった。奉公途中に死んだ飯盛女は身につけていたものを剥ぎ取られて俵に詰められ、投げ込むように葬られたという。成覚寺に葬られた人数は、2200とも3000余りとも伝わる。境内には共同墓地に葬られた飯盛女たちの供養碑である「子供合埋碑(こどもごうまいひ)」、玉川上水で心中した男女らを供養する「旭地蔵(あさひじぞう)」などの文化財が残されている。 また、黄表紙塚本明毅が葬られた寺でもある。  (wikipedia・成覚寺より)]

[正式名『十劫山無量寿院成覚寺』の浄土宗寺院。境内には、幕末の戯作者で「金々先生栄花夢」や「鸚鵡返文武二道」など、当時の世相や人情を風刺したベストセラーを記した恋川春町の墓があります。また、「投げ込み寺」とも呼ばれ、隣接する内藤新宿の宿場の飯盛女(女郎)たちの共同墓地『子供合埋碑』があります。内藤新宿の繁栄の陰に隠れた悲しい女性たちをしのぶ記念碑として、万延元年(1860年)に建立されました。宿場内で不慮の死を遂げた者の供養のために建立された『旭地蔵』もあります。その脇に建てられた、地蔵移転供養に協力した人々の名を記した石碑は、当時の新宿の有力商人の名を知ることができる史料です。  (「成覚寺 恋川春町の墓 旭地蔵 子供合埋碑 – 新宿観光振興協会」より)]

成覚寺資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 内藤新宿千駄ヶ谷絵図」(絵図右端下方向に成覚院と描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 江戸絵図. 9号」(コマ番号3/5・絵図四つ切右下「太宗寺」の上に「成覚院」が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [14]拾九元」(コマ番号2/5・地図中央の太宗寺下に成覚寺が描かれています。)

成覚寺 – Google Map 画像リンク

カメラ南南西方向が成覚寺山門です。