花園神社

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    花園神社
    [花園神社(はなぞのじんじゃ)は、東京都新宿区にある神社である。旧社格は郷社。倉稲魂命(花園神社)・日本武尊(大鳥神社)・受持神(雷電神社)の3柱の神を祀る。
    新宿の街の中心にあり、新宿総鎮守として江戸時代内藤新宿が開かれて以来の、街の守り神として祀られている。また敷地内では各種劇団による催し物などが定期的に開かれ、新宿の街の文化の一翼も担っている事でも知られている。朱塗りの鮮やかな社殿は、参拝客の他、休憩場所や待ち合わせ場所として使われ、当社に人影が途絶える事がない。
    創建の由緒は不明であるが、徳川家康江戸に入った1590年にはすで存在しており、大和国吉野山よりの勧請と伝えられている。その後、当地に内藤新宿が開かれるとその鎮守として祭られるようになった。元は現在地よりも約250メートル南にあったが、寛政年間、その地を朝倉筑後守が拝領しその下屋敷の敷地内となって参拝ができなくなった。氏子がその旨を江戸幕府に訴えて、尾張藩下屋敷の庭の一部である現在地を拝領し、そこに遷座した。そこは多くの花が咲き乱れていた花園の跡であることから「花園稲荷神社」と呼ばれるようになったと伝えられる。また、真言宗豊山派愛染院の別院・三光院の住職が別当を勤めたことから「三光院稲荷」とも、地名から「四谷追分稲荷」とも呼ばれた。明治に入ると村社に列格したが、その際、名称は単に「稲荷神社」となった。一説には届出の際に「花園」を書き忘れたという。大正5年(1916年)1月25日に東京府知事に対し改名願を出し、同年2月26日に許可され「花園稲荷神社」に改称した。昭和3年(1928年)、現新宿4丁目にあった雷電稲荷神社(雷電神社/祭神:受持神)を合祀、郷社に昇格した。昭和40年(1965年)、現在のコンクリート製の本殿に建て替えられ、その際に末社・大鳥神社(祭神:日本武尊)を本殿に合祀し、社名を「花園神社」に改めた。  (wikipedia・花園神社より)]

    例大祭
    [毎年、5月の28日に一番近い土・日・月曜日に行われます。表の年には、獅子頭や島田囃子を乗せた山車を先頭に、本社神輿と雷電神輿の二基が神社から靖国通り、新宿通り、明治通りを練り歩きます。陰の年には八ヶ町の神輿が集合し、連合渡行が行われます。
    かつては稲荷神社の祭礼日である2月の初午の日に行われていました。その後の諸事情により、昭和42年に5月の27、28、29日に落ち着いたのですが、平日だと子供さんや担ぎ手さんが集まらないため、昭和51年から5月の28日に一番近い土・日・月曜日に行うことになりました。(宮神輿二基が出る表祭は金・土・日・月曜日の4日間)
    本社神輿は戦災で失われていましたが、氏子のみなさんの尽力により昭和55年に35年ぶりに復活しました。台座幅は110センチ、高さ3メートル、重量1500キロのかなり大きなものです。雷電稲荷の宮神輿は平成元年に完成しています。  (「花園神社ホームページ」 – 「行事解説」より)]

    花園神社ホームページ」 – 「今年の行事日程

    国立国会図書館デジタルコレクション – 江戸絵図. 9号」(コマ番号5/5・絵図四つ切右上に「稲荷 三光院」と描かれています。)

    国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [14]拾九元」(コマ番号2/5・地図右下に稲荷舎地別当三光院と描かれています。)

    花園神社 – Google Map 画像リンク

    カメラ西北西方向が花園神社参道です。

    例大祭開催中の境内のカメラです。

    カメラ西北西方向が花園神社拝殿です。

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