角筈調練場跡

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マーカーは角筈調練場跡です。

角筈調練場跡
[新宿大ガード付近、西武新宿駅方向にかけて「調練場」があった。天保十四年(一八四三)六月、幕府は近海に出没する外国船に危機感を抱き、泥縄式に「大筒丁場」を角筈村に設け、武家であれば誰でも大筒の練習を許した。大筒といっても玉は三百目までである。やがて「角筈調練場」と改称され、ドカン、ドカンと練習する武家で賑わい、たびたび修理や湯小屋増設の願いが出されている。掃除や湯茶の用意は近隣農民の夫役(ぶえき)である。敷地は一万七千坪、旗本五島修理亮と城半左衛門の屋敷を召上げた場所であった。  (「角筈村の大筒調練場 – 新宿法人会」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 内藤新宿千駄ヶ谷絵図」(絵図右上・常圓寺と西方寺(新宿三丁目23番・大正9年杉並区梅里1丁目4番56号へ移転)の間に「角筈調練場」と記述されています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内場末往還其外沿革圖書. [19]拾九貞」(37/137・城主水と描かれています。38/137・中央に大筒角場、右上に城半左衛門と記述されています。39/137・右ページに大筒角場、その左上に西方寺が描かれ、その上の道が旧青梅街道です。また、左下に全龍寺が描かれ、その前の道が現区役所通りです。全龍寺の敷地はここまであった。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内場末往還其外沿革圖書. [20]拾九貞」(2/13・絵図下全龍寺の右、西方寺の下に大筒角場と記述されています。5/13・絵図右上に大筒角場が描かれています。)

カメラ位置は新宿ステーションスクエア西北角で、カメラ西方向に旧青梅街道の標識があります。カメラ北西方向に「角筈調練場」があり、カメラ北方向に西方寺がありました。

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