伊勢橋・旧六ケ村分水口

マーカーは 伊勢橋・旧六ケ村分水口です。

伊勢橋・旧六ケ村分水口
[所在地:練馬区関町南3丁目1番付近
 千川上水開渠区間の終点が、青梅街道の伊勢橋です。古い文献によるとかつてはこの地点に「水番所(ばんしょ)」が置かれ、また上井草村、鷺宮村など6か村そんに用水を引いた「多摩郡六ケ村(ろっかそん)分水口」も設けられていました。現在千川上水に放水されている日にち量1万立方メートルの再生水は、ここで7,000立方メートルが杉並区善福寺方向の導水(どうすい)管へ、残る3,000立方メートルが練馬区立千川上水緑道(りょくどう)方向の暗渠へ導かれています。  (「伊勢橋・旧六ケ村分水口(きゅうろっかそんぶんすいぐち):練馬区公式 ..」より)]

[開渠区間の終点が、この先の青梅街道と交差する「伊勢(殿)橋」です。取水口から5km、かつての小名は「出店(でだな)」。正徳末(1710年代半ば)に作成された「正徳末頃ノ上水図」(千川蓄蔵氏所蔵)にはこの地点に「水番」という文字が記入され、天保5年(1834)刊の『武蔵国多摩郡御嶽山道中記・御嶽菅笠(みたけすげがさ)』には、千川上水を挟んで「水番所」と「二八そば屋」が描かれています。現在、その痕跡はありませんが、かつてここに「水番所」があったことは確かなようです。
また、前出『千川上水路図解説』などの文献には、この地点に、上井草村、下井草村、天沼村、阿佐ヶ谷村荻久保村、鷺宮村の六か村に用水を引いた「多摩郡六ケ村分水」口があったことを記しています。前出の尾崎氏は 「私が憶えている分水跡は、伊勢橋から荻窪方向に向かって青梅街道の右側を平行して堀が掘られ、竹下稲荷神社あたりで右に折れ善福寺方向へ向かっていました」と教えてくれました。前出『千川上水』には、「(同分水は交差点から)略々青梅街道に平行して走ってをり古い石橋も見られるが、二百米程行くと詞があり、こ々の前からはただ形ばかりの溝で、幅も狭く、昔の面影は見られない(後略)」と記しています。尾崎証言と一致します。この「分水」は伊勢(殿)橋付近から青梅街道に平行して流れていたことが、これで確認できました。
現在、千川上水に放流されている日量一万㎥の再生水は、ここ伊勢(殿)橋で杉並区善福寺方面へ通じる導水管へ七千㎥、残る三千㎥は青梅街道の路面下を潜り「練馬区立千川上水緑道」方向の暗渠へ導かれています。  (「千川上水現況調査報告(平成16年3月発行)(PDF:7820KB) – 練馬区」より)]

[開渠区間終点
ここからは暗渠で二手に分かれ千川上水緑道方向と、もう一方は善福寺川へ導かれる。かつて阿佐ヶ谷村まで流れた分水口があったところでもある。
青梅街道水道端
開渠区間終点、ケヤキ並木の青梅街道。関町1丁目交差点のバス亭は「水道端」となっている。この北側から水路跡に千川上水緑道が立野橋まで続く。  (「緑と水のひろば 60号(PDF) – 公園へ行こう!」より)]

カメラ東北東方向が千川上水開渠の終点です。カメラ方向先で青梅街道と交差しています。