マーカーは千川上水公園です。
千川上水公園
[千川上水公園は、豊島区のなかでもっとも古い公園で、その歴史は旧千川上水水路敷地を市民により旧東京市へ寄付された、明治13年にさかのぼります。千川上水は、かつてこの場所にあった堀割を経て、分水は六義園や、本郷、湯島のあたりまで流れていました。
現在のような公園として開放されたのは昭和15年。
開園当初は都の公園でしたが、豊島区にとっては初めての公園であり、古くから区民に親しまれてきたものです。
公園の地下には、現在でも水流を調節するために設けられた分水堰や、六義園に水路を引くために作られた由緒ある沈殿池が残っています。 (「千川上水公園|豊島区公式ホームページ」より)]
[千川上水王子分水 – 千川上水公園から西巣鴨駅を経て、王子方面へ流されていた。幕末に大砲工場を建設(北区滝野川 2-6付近)する際に掘削された。その後、王子近辺の紡績工場、抄紙会社(後の王子製紙)、大蔵省紙幣寮抄紙局(今の印刷局滝野川工場)の工業用水として利用された。千川上水公園から明治通りを挟んで反対側に「千川上水分配堰碑」が立てられている。
●1865年(慶応元年)9月中旬 – 滝野川反射炉建設につき滝野川村裏(元大蔵省醸造試験場。現在の北区滝野川2-6)へ、約2か月半を要して、千川を掘割る(工業用水が必要となる)。
●1870年(明治3年) – 滝野川反射炉跡地に紡績工場が建てられ、千川用水を撚糸器の水車に利用する。
●1872年(明治5年) – 鹿島紡績所(鹿島万平による、民間で最初の紡績工場)が上水の水を使用し工場の操業開始。
●1875年(明治8年) – 抄紙会社が上水の水を使用し業務開始。王子村に紙幣寮抄紙局(後に、大蔵省印刷局抄紙部)工場が建設される(用水が必要となる)。 (wikipedia・千川上水より)]
カメラ南東方向が千川上水公園です。