関村分水跡

マーカーは関村分水跡です。

関村分水跡
[所在地:練馬区関町南4丁目26番付近
 西東京市と練馬区との境界にあたる細い路地が、かつての「関村分水」跡です。本流から水田灌漑用に引かれたのが分水で、天明4年(1784年)に作成された「関村絵図」(井口氏所蔵)などによると、当時の関村分水は三郡(みごうり)橋付近から取水され、現在の区立武蔵関公園富士見池付近まで流れ込んでいたと推測されます。  (「関村分水跡:練馬区公式ホームページ – Archive.is」より)]

[三郡橋を過ぎ、千川上水遊歩道の対岸の区道を下流に少し進むと、左側に「練馬区」の標識が立っています。その手前から左に緩やかに弧を措いた細い路地が青梅街道方向へ続きます。この路地が西東京市と練馬区との境界線で、かつてあった「関村分水」跡でもあります。昔、上水本流から水田潅漑用に引かれたのが「分水」で、天明4年(一七八四)に作成された「関村絵図」 (井口敏氏所蔵)には、千川上水から「溜井」 (現・練馬区立武蔵関公園の富士見池)まで横一線に結ばれた関村分水が描かれています。この絵図から、当時の関村分水は三郡橋付近から取水され、現在の武蔵関公園富士見池付近の石神井川まで流れていたことが推測できます。  (「千川上水現況調査報告(平成16年3月発行)(PDF:7820KB) – 練馬区」より)]

カメラ北東方向が関村分水跡です。