仙寿院

マーカーは仙寿院です。

仙寿院
[正保元年(1644)紀伊の太守徳川頼宣の生母お萬の方の発願により、里見日遙(安房の太守里見義康の次女)を開山として創立。従って江戸期、紀伊徳川家伊予国西条藩松平家の江戸表における菩提寺祈願所として、十万石の格式をもって遇せられ、壮大な堂宇と、庭園は江戸名所の一つに数えられ、新日暮里(しんひぐらしのさと)とも呼ばれた。江戸期において隆盛を誇ったが明治維新の変革によって衰微し、明治18年には火災によって全山焼失し、復興したが昭和20年戦災で再び全山焼失した。さらに39年の東京オリンピックの道路工事などによって寺観は一変したが、44年には本堂、書院を再建、59年には書院、客殿を増改築し、昔日には遠く及ばずながら復興し、現在に至っている。青山七福神の一ヶ寺であり、布袋尊が祀られている。  (「法雲山 仙寿院・せんじゅいん[渋谷区] – 寺院紹介 : 日蓮宗東京都西部」より)]

仙寿院資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 江戸絵図. 9号」(絵図四つ切左下に千壽院が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 四ツ谷絵図」(絵図右下角付近に千壽院と描かれています。)

江戸名所図会」(画像は国立国会図書館ウェブサイトより取得)・仙壽院庭中

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「仙壽院庭中」(9-14)、「新日暮里解説・左ページ4行目より」(9-13)

仙寿院 – Google Map 画像リンク

カメラ西北西方向が仙寿院参道
です。(カメラ西方向トンネル上は仙寿院の墓地です。)