四谷箪笥町

マーカーは四谷箪笥町です。

四谷箪笥町
[現在の三栄町は、1943年(昭和18年)に箪笥町(現在新宿区内にある牛込箪笥町とは別の町)・北伊賀町・新堀江町の三つの町が合併して成立した。  (wikipedia・三栄町_(新宿区)より)]

[新宿区内には、江戸時代に「箪笥(たんす)町」と呼ばれた町が三箇所あった。大久保箪笥町・四谷箪笥町・牛込箪笥町である。大久保箪笥町は鉄砲玉 薬同心の組屋敷のあった大久保、四谷箪笥町は大久保の組屋敷と同時に鉄砲玉薬同心二十五人が拝領した所であったが、町人に貸地するのが許されて町地化し、同心の屋敷が僅かに残るのみとなった三栄町の東部、牛込箪笥町は具足奉行組や弓矢槍奉行組同心たちが拝領した屋敷地であったが、四谷箪笥町と同様に町地となり、ここのみが現在も箪笥町と呼ばれている。もともと「箪笥」とは現在のように物を収納するものではなく、武器一般を指していたようである。  (「公益社団法人 新宿法人会 – 新宿歴史よもやま話 第13回」より)]

[大久保は鉄砲百人組が住んだ百人町など有名で、牛込御箪笥町も由緒があります。
 しかし、四谷箪笥町についてはあまり知られていません。
 鈴木さんは細かく、誰がどこに拝領屋敷を持っていたか調査されています。
 例えば、勝海舟の父親の勝小吉の持ち家もありました。276坪で四谷箪笥町では一番広い地所です。
 勝海舟は『海舟座談』の中で「祖父が鉄砲玉薬同心の勝家の株を買い、のちに旗本に進んだ家なので、重嶺と親しく、金を貸したことがある」といったことが出ています。
 重嶺というのは、鈴木重嶺といって鉄砲玉薬同心の家系で大久保に拝領屋敷を持っていて、後年和歌で名をなした人です。  (「箪笥町は衣装をしまうタンス屋の町ではない。 | 美作(みまさか) – 楽天ブ」より)]

勝小吉(夢酔)24歳 – (夢酔独言、鶯谷庵独言)勝(小吉) – FC2

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 四ツ谷絵図」(四ッ谷御門下方向・麹町13丁目左に御箪笥町が描かれています。)

カメラ北北東方向道路両サイドが四谷箪笥町になります。