広瀬藩松平(越前)家上屋敷跡

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関連リンク – 広瀬藩松平(越前)家下屋敷跡

国立国会図書館デジタルコレクション – 東京市史稿. 市街編49(1960年東京都出版)」の「江戸藩邸沿革」のP917・コマ番号502/553から広瀬藩屋敷の変遷について記載されています。P918・コマ番号503/553「上屋敷 四谷門外」がこの地になります。

広瀬藩松平(越前)家
[広瀬藩(ひろせはん)は、松平家時代初期から置かれた松江藩の支藩。かつての出雲の中心地だった、現在の安来市広瀬地区に広瀬陣屋に藩庁が置かれた。
寛文6年(1666年)、松平家松江藩初代藩主・松平直政の次男・近栄が3万石を分与され立藩した。天和2年(1682年)、近栄は越後騒動に荷担した罪から知行を半減されたが、貞享2年(1686年)に5千石、元禄7年(1694年)1万石を加増されて再び3万石となり、以後10代205年間在封した。嘉永3年(1850年)、8代・直寛は幕府公役の勤を評され、城主格となっている。
明治4年(1871年)、廃藩置県により広瀬県となり、同年松江県、母里県、浜田県の一部(隠岐地方)と合併して島根県になった。  (wikipedia・広瀬藩より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 四ツ谷絵図(嘉永3年・1850年)」[絵図上中央に松平宮内大輔(松平直寛)上屋敷が描かれています。]

国立国会図書館デジタルコレクション – 赤坂四谷鮫ヶ橋辺一円絵図(天保元年・1831年)」[コマ番号2/3・絵図上中央に松平佐渡守(松平直寛)が描かれています。]

カメラ西北西方向は広瀬藩松平(越前)家上屋敷跡に建つ四谷中学校です。