紀伊徳川家家老久野家屋敷跡

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マーカーは明治記念館です。

紀伊徳川家家老久野家屋敷跡

(「千駄ヶ谷・鮫ヶ橋・四ツ谷絵図 文久三年尾張屋清七版 「草木奇品家」」より)]

[鮫川の水源は永井家屋敷山下と鐙ヶ淵(現若葉公園)の2箇所で、元鮫河橋北町で合流し、鮫川橋付近で紀伊徳川家家老久野家(久野純固)屋敷から千日谷に沿った西方からの流れと合流し、紀伊徳川家中屋敷内の池に注ぎ、最終的に赤坂溜池に至った。
鎧ヶ淵は源義家が鮫河に転落した際に落としたと伝えられる鐙が遺された伝承がある淵で、江戸時代初期には八幡宮に安置されていたが、後に廃され、陽光寺抱地となった。近代になっても、晴れた日の正午頃、池に反射する光が金の鐙からの光として有難がられる光景が見られたが、四谷区内の下水に溜まった泥の廃棄場となり、消滅した。
江戸時代初期の時点で水流は僅かだった。橋は長さ2間(約3.6m)、幅2間の板橋と至って小規模なものだった。  (wikipedia・鮫河橋より)]

紀伊徳川家家老久野家屋敷資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 江戸絵図. 9号」(絵図四つ切左上・一行寺下の紀伊殿抱屋敷が久野丹波守屋敷です。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 四ツ谷絵図」(絵図右中央付近・一行寺右下に久野丹波守屋敷が描かれています。)

カメラ東北東方向が明治記念館です。

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