マーカーは神宮外苑いちょう並木北端です。
聖徳記念絵画館
[聖徳記念絵画館(せいとくきねんかいがかん)は、東京都新宿区の明治神宮外苑にある美術館。
神宮外苑の中心的な建物で、幕末から明治時代までの明治天皇の生涯の事績を描いた歴史的・文化的にも貴重な絵画を展示している。維持管理は宗教法人明治神宮の予算で賄われており、他からの援助は一切受けていない。警察官により常に厳重に警備されている。
明治天皇崩御後に建築計画が持ち上がり、1926年(大正15年)に旧青山練兵場の跡地に建設された。そもそも明治神宮外苑の造営の主たる目的でもある建物である。現在でも、建築当初のままのドーム状の荘厳な建物を見ることができる。
1968年(昭和43年)には、明治維新100年目を記念して絵画館学園が同建物内に開校され、絵画や陶芸などを学ぶ施設も備わった。また、1990年(平成2年)からは同建物の夜間のライトアップが実施されるようになり、絵画館が神秘的な雰囲気を伴って東京の夜の景色を飾るようになった。2011年(平成23年)、「直線的意匠と先駆的技術を採用した、わが国初期の美術館建築」と評価され、明治神宮宝物館と共に国の重要文化財に指定された。
イチョウ並木
明治神宮外苑の入り口でもある青山通りからこの建物を見ると、イチョウ(銀杏)の並木が絵画館が中心になるように沿って植えられており、遠近法を用いて実際の距離より絵画館が遠方にあるように表現されているのも特徴的で、建物自体の美術的な価値を高めている。
これらのイチョウは、1926年(大正15年)の明治神宮外苑創建に先立って、1923年(大正12年)に植栽されたもので、並木の総本数は雄木44本、雌木102本の合計146本である。設計者は、関東大震災後の復興事業で隅田公園や錦糸公園、山下公園などの建設も指揮した建築家、折下吉延。造営の責任者は、当時道路工学の権威であった藤井真透が務めた。
このイチョウ並木は多くの映画やテレビドラマのロケ地ともなっているほか、紅葉の季節には多くの観光客が訪れる。
聖徳記念絵画館・wikipedia-photo、ライトアップされた夜の絵画館・wikipedia-photo、神宮外苑銀杏並木・wikipedia-photo、絵画館・wikipedia-photo、遠近法により絵画館が中心になるように表現されている・wikipedia-photo、9月の銀杏並木・wikipedia-photo、12月の銀杏並木・wikipedia-photo (wikipedia・聖徳記念絵画館より)]
明治神宮外苑
[東京都区部の中央部にある公園。渋谷(しぶや)区・港区・新宿区の3区にまたがる。面積27.3ha。江戸時代は日向(ひゅうが)飫肥(おび)藩下屋敷・御先手組(おさきてぐみ)組屋敷などの武家地で、明治初期に陸軍の青山練兵場となる。明治神宮造営のさい、その外苑として整備され、1926年(大正15)に完成。イチョウ並木で知られる。聖徳記念絵画館のほか、秩父宮(ちちぶのみや)記念スポーツ博物館・国立競技場・明治神宮野球場・東京体育館などがあり、「スポーツの森」として名高い。
出典 講談社日本の地名がわかる事典について (「明治神宮外苑(メイジジングウガイエン)とは – コトバンク」より)]
資料リンク
「国立国会図書館デジタルコレクション – 江戸絵図. 9号」(絵図中央左・伊東修理大夫下屋敷を中心に、御先手組、百人組、元御硝煙蔵が明治神宮外苑になります。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 四ツ谷絵図」(絵図右下・六道辻下、御先手組、百人組、御硝煙蔵、伊東修理大夫下屋敷が明治神宮外苑になります。)
「今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。1896~1909年地図の青山練兵場が明治神宮外苑になります。
「神宮外苑いちょう並木 – Google Map 画像リンク」、「聖徳記念絵画館前広場 – Google Map 画像リンク」、「聖徳記念絵画館 – Google Map 画像リンク」
カメラ北北西方向突き当りが聖徳記念絵画館で、カメラ南南東方向が明治神宮外苑銀杏並木です。
カメラ北向が聖徳記念絵画館です。
明治神宮外苑銀杏並木・紅葉の360citiesです。
明治神宮外苑銀杏並木・晩秋の360citiesです。