西念寺

マーカーは西念寺です。

西念寺
[西念寺(さいねんじ)は、東京都新宿区若葉2丁目に所在する浄土宗の寺院。専称山安養院西念寺。徳川家康譜代家臣で徳川十六神将に数えられる服部正成(半蔵)が開基した寺として知られる。同寺院は、服部氏菩提寺であり、正成をはじめ服部一族の墳墓が存在する。また、正成が守役を務めた徳川家康の長男・徳川信康のために彼が建てたとされる供養塔が現存している。
西念寺の所在する若葉2丁目地域は、JR中央線四ツ谷駅から、新宿通り甲州街道)沿いに約300m西進すると同通りの左手一帯の閑静な住宅街であるが、江戸時代には伊賀町と呼ばれ徳川家に仕えた伊賀衆の組屋敷があった。同寺開基の服部正成はこの伊賀同心200人・与力30騎からなる伊賀衆組頭であったとされる。また、同寺から新宿通りを逆に都心方向に東上すると服部正成にちなみ命名されたという、旧江戸城(現皇居)半蔵門に達する。西念寺は徳川氏江戸に入封してまもない、1594年(文禄3年)に服部正成が江戸麹町の清水谷(現在の新宿区紀尾井町清水谷公園付近)にその前身である庵(安養院)を創建したことに始まる。正成はかつて非業の死を遂げた信康の慰霊のために、出家入道して西念と号し安養院に供養塔を建てて菩提を弔いつつ余生を過ごした。そして、1596年(慶長元年)の死後には法名・専称院殿安譽西念大禅定門と追号されて同庵に葬られた。その後、安養院は周辺に江戸城拡張工事が及んだために、1634年(寛永11年)頃に現在地に移転、寺院として新築されたとする。現在の西念寺の山号・寺名は彼の法名に因む。  (wikipedia・西念寺 (新宿区)より)]

[浄土宗・西念寺は、文禄2年(1593年)に服部半蔵が創建した寺です。当初は麹町清水谷にあり、寛永11年(1634年)の江戸城の拡張工事によって、現在地へと移りました。半蔵は、徳川家康の三河時代からの旧臣で、石見守正成という伊賀者の頭。天正7年(1579年)、家康の長男信康は、織田信長のために切腹を命ぜられました。後年、信康を供養するため、半蔵が西念寺を創建しました。慶長元年(1596年)に55歳で没し、自らの創建した安養院(西念寺)に葬られました。墓は、本堂右隣にある新宿区指定史跡です。半蔵は槍の名手としても知られ、当時「槍の半蔵」の異名も。寺で所蔵する区登録文化財の槍は、半蔵愛用のものです。  (「西念寺 服部半蔵の墓・槍 | 一般社団法人新宿観光振興協会」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 四ツ谷絵図」(絵図中央上方向に西念寺が描かれています。)

浄土宗 西念寺 – Google Map 画像リンク」、「服部半蔵の墓 – Google Map 画像リンク

カメラの西北西方向が西念寺山門です

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