高須藩松平家上屋敷跡(金丸稲荷神社)

マーカーは金丸稲荷神社です。

関連リンク-高須藩松平家上屋敷跡(策の池)高須藩松平家角筈屋敷跡

国立国会図書館デジタルコレクション – 東京市史稿. 市街編49(1960年東京都出版)」の「江戸藩邸沿革」のP581・コマ番号334/553から高須藩屋敷の変遷について記載されています。「上屋敷 四谷伊賀町」がこの地になります。

金丸稲荷神社
[金丸稲荷神社は、美濃国高須藩松平家上屋敷にあった神社です。高須藩は、徳川御三家筆頭である尾張藩の支藩です。天和3年(1683)美濃高須藩藩祖の松平摂津守義行が、現在の新宿区荒木町一帯を江戸幕府より拝領し、上屋敷としました。義行は尾張藩2代藩主徳川光友の次男です。荒木町に接している「津の守(つのかみ)坂通り」も、高須藩に由来しています。「津の守(つのかみ)」の名の由来は、松平摂津守義行からきています。つまり、摂津守が略されて「津の守」となりました。だから「つのもり」ではなく「つのかみ」と読みます。藩主の守護神として建立され上屋敷に鎮座していた金丸稲荷神社は、現在も、氏子の人たちに崇敬されています。  (「江戸屋敷にあった神社(9) 金丸稲荷神社」より)]

資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 四ツ谷絵図(嘉永三年・1850年)」(絵図中央左方向に松平摂津守(美濃高須藩)上屋敷が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内場末往還其外沿革圖書. [14]拾九元(嘉永五年・1852年)」(コマ番号3/5・絵図左全勝寺と摂津守坂の間に松平摂津守と記述されています。また、伝馬町三丁目から屋敷地の間に車力門横町と記述されています。)

金丸稲荷神社 – Google Map 画像リンク

カメラ北方向が車力門横町通りで、Timesの駐車場付近から高須藩松平家上屋敷でそこに荷車搬入用門(動力門)があり、その先突き当り左に金丸稲荷神社があります。

カメラ北西方向が金丸稲荷神社です。