闇坂・鐙ヶ淵(陽光寺抱地・現若葉公園)

マーカーは闇坂下です。

[この坂の左右にある松厳寺永心寺の樹木が繁り、薄暗い坂であったためこう呼ばれたという。また、松厳寺の俗称が茶の木寺であるため、茶の木坂とも呼ばれた。
設置者: 新宿区教育委員会
設置日: 平成七年八月(坂上)  (「闇坂(新宿区須賀町)」より)]

[鮫川の水源は永井家屋敷山下と鐙ヶ淵(現若葉公園)の2箇所で、元鮫河橋北町で合流し、鮫川橋付近で紀伊徳川家家老久野家(久野純固)屋敷から千日谷に沿った西方からの流れと合流し、紀伊徳川家中屋敷内の池に注ぎ、最終的に赤坂溜池に至った。
鎧ヶ淵は源義家が鮫河に転落した際に落としたと伝えられる鐙が遺された伝承がある淵で、江戸時代初期には八幡宮に安置されていたが、後に廃され、陽光寺抱地となった。近代になっても、晴れた日の正午頃、池に反射する光が金の鐙からの光として有難がられる光景が見られたが、四谷区内の下水に溜まった泥の廃棄場となり、消滅した。  (wikipedia・鮫河橋より)]

[若葉公園の場所にはかつて、鮫河橋尋常小学校がありました。その前身は、地域の貧しい子供たちのために地元の寺がひらいた「三銭学校」で篤志家から来付近を募り、無料で読み書き算盤を教えていました。江戸期より続いているというここの湧水で、学校の生徒らも遊んだのでしょうか。 (「東京の水 2005 Revisited:鮫川/桜川~四谷・赤坂・虎ノ門・芝の水系を …」より)]

右下赤丸が鮫河橋、左上青丸が鐙ヶ淵(陽光寺抱地・現若葉公園)、その下青丸が永井家屋敷山下です。

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 赤坂絵図」[絵図中央・永信寺(永心寺)と松岩寺(松厳寺)の間、瑞光寺までが闇坂です。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 赤坂四谷鮫ヶ橋辺一円絵図」(コマ番号2/3・絵図中央、永井左門の左下に陽光寺が描かれ、その左に闇坂が描かれています。)

闇坂上・カメラ南方向が闇坂で、坂の左に標柱があります。

闇坂下・カメラ西方向に闇坂の標柱があります。