マーカーはナンジャモンジャです。
青山六道の辻
[権田原、六軒町のあたりは組屋敷や御家人屋敷が集まる一画である。その中にあって、道が六差路になっていたため六道辻と呼ばれた。明治19年に日比谷練兵場の公園化にともない青山練兵場設置され、六道の辻を含む広い範囲が構内に取り込まれた。明治45年9月、明治天皇の御大葬の礼会場となり、公園化が決定された。これが明治神宮外苑で、完成は大正15年のことである。 (「江戸切絵図散策」より)]
ナンジャモンジャ
[ナンジャモンジャとは、見慣れない立派な植物、怪木や珍木に対して地元の人々が付けた愛称。すなわち、特定の植物の種名ではない。ヒトツバタゴを指すことが多いが他の樹種の場合もある。あんにゃもんにゃとも呼ばれる。
「ナンジャモンジャ」と名付けられる植物の樹種は、ヒトツバタゴのほか、ニレ、イヌザクラ、ボダイジュなど様々である。
「ナンジャモンジャ」と称される理由について、民俗学では、元々は占いや神事に利用されていたもので、植物名で直接呼ぶことが憚られたものではないか、とみる説などがある。
一説では、神木の前を通りかかった水戸黄門が「この木はなんじゃ」と聞いたところ、地元の人が聞き取れず「なんじゃもんじゃ」と返答して、木の名前だと勘違いして広まったという話がある。
●明治神宮外苑(東京都新宿区) – 樹種はヒトツバタゴ。 (wikipedia・ナンジャモンジャより)]
ひとつばたご(なんじゃもんじゃ)
[この木は、和名「ヒトツバタゴ」俗名「ナンジャモンジャ」と呼ばれる大変珍しい木で、五月初旬の満開時には、白い清楚な花が、まるで雪を被ったように美しく咲き誇ります。
幕末(一八六〇年代)の頃、ここから南へ四〇〇メートル(※?)行った六道の辻という場所(現在のテニスクラブ付近 ※?)の近くに「六道木」と呼ばれる珍しい名木(なんじゃもんじゃ)がありました。
明治三十六年(一九〇三)、樹齢百数十年と言われた」この木の価値に注目した白井光太郎博士(元帝国大学教授)が、国に対して、この木の保護を願い出た結果、大正十三年(一九二四)十二月、天然記念物の指定を受けましたが、昭和八年(一九三三)、遂に枯死しました。
その後、白井博士が根接ぎ法により得たと伝えられる「二代目六道木」を昭和五十三年(一九七八)に、ここ絵画館前に植樹し、多くの方にご覧いただいておりましたが、平成二十六年(二〇一四)、その木も寿命を迎え枯死しました。
そして、平成二十八年(二〇一六)、明治神宮外苑創建九十年を記念し、二代目六道木の実生を苑内で育てた「三代目六道木」をここに移し植えています。
初代の雄姿は、今も聖徳記念絵画館の洋画七十四番「凱旋観兵敷」(小林万吾画)でご覧いただけます。
平成二十八年三月吉日 明治神宮外苑 (「Google Map 画像リンク」より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 青山長者丸辺図(嘉永四年・1851年)」(絵図四つ切左下・甲賀組屋敷左下に六道ノ辻ト云と記述されています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 四ツ谷絵図(嘉永3年・1850年)」(絵図右端中央・六道辻と描かれています。)
「日文研所蔵地図 – (内題)東京府武蔵国赤坂区青山北町近傍(五千分一東京図測量原図のうち)明治17(1884)」(絵図四つ切左下・陸軍火薬庫右方向に字六道が描かれています。)
「「ひとつばたご」木名記念碑(明治神宮外苑) – Google Map 画像リンク」
カメラ南東の木が三代目ナンジャモンジャで、碑と案内板が設置されています。