青山御焔硝蔵(国立霞ヶ丘競技場)

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マーカーは国立霞ヶ丘競技場です。

青山御焔硝蔵
[火薬庫のことで、近くには鉄砲場もあった。幕末期に江戸湾防御のため台場が築造されると、使用されるか火薬はここから運ばれた。明治維新後も変わらず、青山練兵場の構内に取り込まれた。  (「江戸切絵図散策」より)]

国立霞ヶ丘競技場
[1924年(大正13年)に青山練兵場跡地に建設された明治神宮外苑競技場が前身である。明治神宮外苑競技場には陸上競技場の他、野球場、相撲場、プール等が設置された。戦中は陸上競技場が学徒出陣の壮行会の舞台となった。
1945年(昭和20年)に第二次世界大戦で日本が敗戦すると、施設はアメリカ軍によって接収され、しばらくは『ナルキニック・スタジアム』という名称で使用されていた。
その後オリンピックの開催を目指して1956年(昭和31年)に、文部省に譲渡され、外苑競技場を取り壊し、1958年(昭和33年)に国立霞ヶ丘陸上競技場が完成した。完成した年に、国産アンツーカにて舗装された同陸上競技場で「アジア競技大会」が開催され、東京がオリンピックを開催する能力があることをアピールする絶好の機会となり、翌1959年(昭和34年)5月に開催された国際オリンピック委員会総会で1964年(昭和39年)のオリンピックの東京開催が決定した。
東京オリンピックでは陸上競技場がメインスタジアムとして陸上競技、サッカーの3位決定戦と決勝戦、および馬術競技の大賞典障害飛越が、ラグビー場ではサッカー競技が実施された。
現在の競技場は2014年7月から2015年10月にかけて解体され、2015年10月から「新国立競技場」の建設を開始、2019年3月までに完成する予定となっている。  (wikipedia・国立霞ヶ丘競技場より)]

青山御焔硝蔵資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 江戸絵図. 9号」(絵図中央左方向に新御焔硝蔵が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 四ツ谷絵図」(絵図右中央下付近に・御焔硝蔵と描かれています。)

カメラ西北西方向が国立霞ヶ丘競技場青山門です。(現在は解体済み)

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