マーカーは品川用水・仙川用水分岐点です。
品川用水・仙川用水分岐点
[東西に抜ける古くからの街道「人見街道」の両側にはかつて「アイノミチ」と呼ばれた小径が並行していた。新川と下連雀の境目の道はそれらの名残のひとつである、そしてその道の傍らに、品川用水と仙川用水の分岐点が残っている。右側に曲がる赤茶色の舗装の道がかつての仙川用水跡、そして正面の草の生えた窪地が品川用水の跡だ。背後はかつては日産の工場で、現在は高層マンションとなっている。(画像リンク)
品川用水の跡はよく見ると、半ば埋もれてはいるようだが水路がそのまま残っている。(画像リンク)
ここはおそらく品川用水で唯一水路が現存している場所だ。仙川用水の方の痕跡はないが、もともとここまでの水路は仙川用水であったこともあり、ここの分水口は品川用水の数ある分水口の中でも別格扱いだったようだ。1689(元禄2)年、品川領9ヶ村の訴えにより井伊領(現世田谷区内)の各村の分水口は閉塞されたときも、上仙川村の分水口は対象外であり、翌年上仙川分水口が訴えられたときも、分水量の調整と厳格な管理を実施するということで話が付けられている。
「品川用水沿革史」に収められている現地の視察記(1941年11月)ではこの分岐点は「新川分水口」として厳格に管理されたコンクリート造りの樋口だと記されている。そして、この時点で品川用水側の水路は砂俵でせき止められて通水していなかったという。そちら側の水路がこうして残っているのはどういった経緯があったのだろうか。
水路が残っているのは20mほどだろうか。その先は土に埋もれて曖昧になり、新川宿公会堂とその裏手の八幡社に続いている。 (「謎解き仙川用水その1ー品川用水上流部と深大寺用水下流部の母体 …」より)]
カメラ南方向・空堀が品川用水、右舗装方向が仙川用水です。
カメラ北北西方向木杭の辺りが品川用水跡と思われます。