大をんし前 田川屋

マーカーは大音寺前です。

田川屋
[田川屋・駐春亭は下谷竜泉町の大音寺門前にあった鷺料理の店。浴室の設備を備えていました。吉原の茶屋は仕出しを注文することが多く、八百善とともに大いに繁盛したようです。
は草食ではなく動物食です。美味しいのかどうかわかりませんが川柳に鷺が出てきます。
 「泥水のかへり田川の鷺で飲み」
 「青鷺の首をくくるは意気な茶屋」
 「花落の袖青鷺の口へ入れ」  (「竜泉と樋口一葉 – 江戸l旧蹟を歩く」より)]

[酒井抱一駐春亭宇右衛門
【毎日夕景になると散歩に出掛ける廓の道筋、下谷龍泉寺町の料亭、駐春亭の主人田川屋のことである。糸屋源七の次男として芝で生れ、本名源七郎。伯母の家を継いで深川新地に茶屋を営む。俳名は煎蘿、剃髪して願乗という。龍泉寺に地所を求めて別荘にしようとしたところ、井戸に近辺にないような清水が湧き出して、名主や抱一上人にも相談して料亭を開業した。座敷は一間一間に釜をかけ、茶の出来るようにしてはじめは三間。風呂場は方丈、四角にして、丸竹の四方天井。湯の滝、水の滝を落として奇をてらう。(中略)上人が毎日せっせと通っていたわけがこれで分かる。開業前からの肩入れであったのである。「料理屋にて風呂に入る」営業を思いつき、「湯滝、水滝」「浴室の内外額は名家を網羅し」「道具やてぬぐいのデザインはすべて抱一」】「鉢・茶器類は皆渡り物で日本物はない」当時としては凝った造り、もてなしで評判であったろう。これもすべて主人田川屋の風流才覚、文人たちの応援があったればこそである。 】(『亀田鵬斎と江戸化政期の文人達・渥美国泰著』)
田川屋(料理屋)
△「田川屋料理  金杉大恩寺
    風炉場は浄め庭に在り  酔後浴し来れば酒乍ち醒む
    会席薄(ウス)茶料理好し  駐春亭は是れ駐人の亭
 「下谷大恩寺前 会席御料理 駐春亭宇右衛門」  (「江戸の粋人・酒井抱一の世界(その二十二).. – 俳諧と美術」より)]

江戸高名会亭尽(歌川広重) – 大をんし前 田川屋「狂句合 田川やの筏牛房に竹の箸」(wikipedia-photo)

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 今戸箕輪浅草絵図(嘉永六年・1853年)」(絵図中央右に吉原、そこの上方向に大音寺が描かれ、門前に下谷竜泉町と記述されています。)

カメラ位置は大音寺門前で、カメラ東北東方向が下谷竜泉町(現・台東区竜泉3丁目)になります。