定火消役屋敷跡

このページで定火消役屋敷跡の場所を紹介しています。定火消(じょうびけし、江戸中定火之番)は、明暦の大火[明暦3年1月18日(1657年3月2日)から1月20日(3月4日)]の翌年、万治元年(1658年)に幕府直轄の火消として、4000石以上の旗本4名を選び、それぞれに与力6名・同心30名を付属させて設けられました。その後、15組が江戸城を取りまくように配置されましたが、宝永元年(1704年)以降は10組の編成となり、十人屋敷や十人火消などとも呼ばれました。
歌川 広重は、定火消同心安藤家の子として八代洲河岸定火消屋敷内組屋敷で生まれ家督を継ぎ、その後に浮世絵師となったいます。
各定火消役屋敷の詳細は情報ウインドウのリンクから詳細ページをご覧ください。
下地図右のリストをクリックすると、上の地図にその場所がズーム表示、下地図に情報ウインドウが表示され情報ウインドウ内のリンクをクリックすると詳細ページが別画面で表示されますます。また、「初期設定」ボタンをクリックすると初期画面に戻ります。

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