加賀藩前田家上屋敷跡(東京大学)

マーカーは東京大学・三四郎池です。

加賀藩前田家上屋敷跡(東京大学)
[東大赤門は、キャンパス南西部にあり、本郷通りに面している。同キャンパスの正門とよく間違われるが、正門ではない。旧加賀藩前田家上屋敷御守殿門であり、1827年に第13代藩主前田斉泰が第11代将軍徳川家斉の第21女、溶姫を迎える際に造られた。建築様式としては薬医門であり、切妻造となっている。左右に唐破風造番所を置いている。国の重要文化財、旧国宝。  (wikipedia東京大学の建造物より)]

[東京大学の赤門といえば、誰もが知る門である。正式名称は、旧加賀屋敷御守殿門といい、文政10年(1827)11代将軍徳川家斉の溶姫が13代藩主前田斉泰に嫁入りしたときに建てられた。赤門は、火災などで焼失してしまったら再建してはいけない慣習があり、この赤門は災害などを免れて現存している貴重なものであり、国の重要文化財に指定されている。前田家は、この赤門を消防隊「加賀鳶」を置いて守ったといいます。三四郎池は、もと加賀藩前田家の上屋敷に建造された育徳園の園池で、この頃は、心字池といわれていた。夏目漱石の名作「三四郎」で、主人公がよくここを散策したので三四郎池と名付けられるようになった。  (「文京区本郷の歴史散歩 」より)]

[育徳園心字池(三四郎池)
元和元年(1615)の大坂夏の陣の後、加賀藩前田家(前田利長)が江戸幕府から現在の東京大学の敷地を賜った。寛永3年(1626)前田家3代前田利常の時に、徳川3代将軍徳川家光訪問の内命を受け、殿舎、庭園の造園にかかり完成までに3年を要した。外様大名として誠意を示す必要があったためである。このとき完成した庭園が育徳園と呼ばれ、池を心字池といった。夏目漱石の名作『三四郎』は、ここを舞台としたため、「三四郎池」と呼ばれるようになった。  (「文京区ホームページ-育徳園心字池(三四郎池)」より)]

加賀藩前田家上屋敷資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 本郷湯島絵図」(絵図中央下に加賀中納言殿上屋敷が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 浅草下谷本郷辺絵図」(コマ番号5/5・絵図中央右上「榊原式部大輔」右に「麟祥院」が描かれています。)

カメラ東方向が加賀藩前田家上屋敷跡(東京大学赤門)です。

東京大学・三四郎池のカメラです。

東京大学・医学部前広場五月祭のカメラです。

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