マーカーは境稲荷です。
境稲荷
[境稲荷神社と弁慶鏡ヶ井戸
境稲荷神社の創建年代は不明だが、当地の伝承によれば、文明年間(1469~1486)に室町幕府第9代将軍足利義尚(よしひさ)が再建したという。「境稲荷」の社名はこの付近が 忍ケ岡(上野台地)と向ヶ丘(本郷台地)も境であることに由来し、かつての茅町(現池之端1・2丁目の一部)に鎮守として信仰を集めている。社殿北側の井戸は、源義経とその従者が奥州へ向かう途中に武蔵坊弁慶が見つけ、一行ののどを潤したと伝え、「江戸志」など江戸時代の史料にも名水として記録がある。一時埋め戻したが、昭和15年に再び掘り出し、特に昭和20年の東京大空襲などでは多くの被災者を飢渇から救った。井戸脇の石碑は掘り出した際の記念碑で、造立者の中には当地に住んでいた画伯横山大観の名も見える。 平成 6年 3月 台東区教育委員会 (「谷根千ウロウロ: 名所旧跡アーカイブ 」より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 本郷湯島絵図」(絵図中央下方向・不忍池の上方向にイナリと記述されています。)
カメラ北西方向が境稲荷です。
カメラ位置は境稲荷神社裏で、カメラ南南西方向が弁慶鏡ヶ井戸と井戸脇の石碑は掘り出した際の記念碑です。