大多喜藩松平(大河内)家中屋敷跡

マーカーは大多喜藩松平(大河内)家下屋敷跡です。

関連リンク – 大多喜藩松平(大河内)家上屋敷跡

国立国会図書館デジタルコレクション – 東京市史稿. 市街編49(1960年東京都出版)」の「江戸藩邸沿革」のP446・コマ番号267/553から大多喜藩屋敷の変遷について記載されています。P450・コマ番号269/553「中屋敷 小石川白山」がこの地になります。

[蓮華寺坂を上がった頂上に京北中学・高校。東洋大学(哲学館)を開校した井上円了によって1898年に開校。旧制一高への進学者数が開成中学を上回っていた時期もあった。1951年に東洋大学から分離したが、2011年に学校法人東洋大学と再統合した。そして2015年、傾城ケ窪の現東洋大白山キャンパスから(赤羽台に仮移転のあと)この地に移ってきた。
この地はもと松平備中守(大河内松平家上総大多喜2万石)の中屋敷があったが、明治東京盲唖学校となり、1909年に盲学校が独立したため聾唖学校になった。昭和32年聾唖学校の地は司法研修所分室になっている。
白山通りまで降りて南下、白山2丁目1と25の間を入ると階段の坂があった。上ると大邸宅がある。表札は白山閣。旧細川男爵邸である。今、日立製作所の迎賓館となっている。明治42年には、まだ指ケ谷小学校はなく、そのあたりまで細川邸が広がっている。
明治29年、最後の熊本藩主だった細川護久の三男護晃が分家を創立、男爵となり、この地に屋敷を構えた。
もとは松平備中守の中屋敷(1万4千坪)の南の部分、台地の先端、東南西の三方が崖、砦にしたら最高の立地である。  (「指ケ谷と戸崎町、白山閣 – 千駄木菜園」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 本郷湯島絵図(嘉永六年・1853年)」(絵図四つ切右上に松平備中守(松平正和)下屋敷と描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 駒込絵図(嘉永七年・1854年)」(絵図右下端に松平備中守(松平正和)中屋敷が描かれています。)

東京市拾五区区分全図 第十壱 小石川区全図 – 特別区協議会」(地図中央右・小石川指ヶ谷町77番地の東京盲唖学校と、小石川戸崎町1,2,3番地が大多喜藩松平(大河内)家中屋敷跡と思われます。)

カメラ西方向が日立製作所迎賓館正門です。