掛川藩太田家下屋敷跡(千駄木ふれあいの杜)

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掛川藩太田家下屋敷跡(千駄木ふれあいの杜)
[太田摂津守(掛川藩)の屋敷跡 千駄木ふれあいの杜(屋敷森)。平成13年10月に開設された市民緑地。地元住民で構成する「千駄木の森を考える会」が区と協定で維持管理を、そして自然観察会といったイベントの企画・運営を行っている。  (wikipedia・千駄木より)]

[「千駄木ふれあいの杜」の由来
 江戸時代、ここは太田道灌の子孫である太田摂津守(太田資始)の下屋敷で、その当時は、現在の日本医科大学から世尊院あたりまでの広大な敷地でした。
 明治に入ると、屋敷は縮小していきます。かっての屋敷跡は「太田の原」と呼ばれそこには太田ヶ池がありました。周囲は田園地帯が広がる、大変に風光明媚な場所だったようです。屋敷の近くには森鴎外らの文化人が住まいをかまえ、小説の中にも周囲の風景についての文章が残されています。
 大正から昭和にかけて、現在の不忍通りに市電が開通し、市街化が進みます。太田ヶ池もなくなり、住宅地となり、周囲の田畑はほとんど見られなくなりました。
 時代の変遷とともに、かつて屋敷内に連なっていた崖地の緑もここを残すのみとなりましたが、文京区の中でその貴重な姿を現在に伝えています。
 今回、所有者のご好意により文京区役所との間に「市民緑地契約」が結ばれ、一般公開されることになりました。この貴重な緑を末永く見守って行きましょう。
※中に「太田備牧駒籠別荘八景十境詩画巻」の案内板があります。
文京区   (「「千駄木ふれあいの杜」の由来 – Monumento(モニュメント)」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 本郷湯島絵図(嘉永六年・1853年)」(絵図右端中央に太田摂津守下屋敷が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内場末往還其外沿革圖書. [33]貮拾壹元(安政三年・1856年)」(コマ番号2/7・絵図中央下に大田摂津守下屋敷が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 武州豊島郡駒込村絵図(写し)」(コマ番号3/3・絵図中央上に大田摂津守下屋敷が描かれています。)

千駄木ふれあいの杜 – Google Map 画像リンク

カメラ南西方向が千駄木ふれあいの杜で「千駄木ふれあいの杜」の由来板が設置されています。(掛川藩太田家下屋敷跡範囲:文京区千駄木1丁目1~19,文京区向丘2丁目14,20~22,31~34)