マーカーは常楽院別院です。
常楽院別院
[常楽院は、天平勝宝年中(749-757)に行基菩薩が創建、慈覚大師が中興したと伝えられます。江戸時代には宝王山常楽院長福寿寺と号して上野不忍池近辺にあり、本尊の阿弥陀如来は江戸六阿弥陀の一つとして、数多くの参詣を集めていました。第二次世界大戦後に当地にあった連倉寺を合併し、福増山常楽院と改号、当地(調布市西つつじヶ丘4-9-1)へ移転しました。 (常楽院の縁起) (「猫のあしあと – 常楽院」より)]
[関東大震災で焼失した上野広小路の六阿弥陀第5番の寺が、昭和8年に当地に移転してきました。これが現在の常楽院です。 (「常楽院(「思い出のアルバム」歌碑) – 調布市観光協会」より)]
「江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「常楽院」(17-5)、「六阿弥陀詣図」(17-22)
常楽院(拡大図)
六阿弥陀詣図(拡大図)
[春秋(はるあき)二度の彼岸(ひがん)にハ六所阿弥陀廻(ろくあみためくり)とて日かげの麗(うららか)なるに催(もよお)され、都下(とか)の貴賤(きせん)老(おい)たる若(わか)き 打群(うちむれ)つつ朝(あさ)とく宅居(いえい)を出るといへとも、行程(ミちのり)遠(とお)けれハ遅々(ちち)たる春(はる)の日も長(なが)からず 秋ハことさら暮れやすうおもはるべし。]
「東都歳事記. 巻之1-4,附録 / 斎藤月岑 編纂 ; 長谷川雪旦 図画 ; 松斎雪堤 補画」・「彼岸六阿弥陀詣」(2-7)
彼岸六阿弥陀詣(拡大図)
[図会中央右に、「うえ野」と「大川橋」の間に五番が描かれ、右ページに五番常楽寺が記述されています。]
カメラ東南東方向が常楽院別院です。