梨木坂

マーカーは梨木坂の坂上です。

[「梨木坂は菊坂より丸山通りなり。むかし大木の梨ありし故坂の名とす。」と『御府内備考』にある。また、『南向茶話』には、「戸田茂睡江戸時代前期の歌学者、『紫の一本』の著者、1629~1706)という人が、この坂のあたりに住んでおり、梨本と称した」とある。
 いっぽう、江戸時代のおわり頃、この周辺は、菊の栽培が盛んで、菊畑がひろがっていたが、この坂のあたりから菊畑がなくなるので、「菊なし坂」といったという説もある。
 戦前まで、この近くに古いたたずまいの学生下宿が数多くあった。
設置者: 文京区教育委員会
設置日: 平成18年3月
別名に梨坂・奈須坂があります。坂名の由来は、かつて梨の大木があったため(南向茶話)という説と、周辺に多くあった菊畑がこの坂あたりにないため「菊な し坂」と呼ばれ、それが転じて「なし坂」となった(御府内備考)という説があります。また明治17年測量の陸軍参謀本部製作地図には「奈須坂」と記されて います。「なし」が転じたものでしょうか。  (「梨木坂(文京区本郷) – 東京23区の坂道」より)]

[旧 菊坂町 (きくさかちょう)
(昭和40年までの町名)
 この辺一帯に菊畑があった。坂を菊坂といい、坂下を菊坂町と名づけた。
 元禄(げんろく)9年(1696)町屋 が開かれ、その後町奉行支配(まちぶぎょうしはい)となった。
 町内には、振袖火事(ふりそでかじ)の火元の本妙寺(ほんみょうじ)があった。下通りには、女流作家樋口一葉(ひぐちいちよう)が住んだ。現在旧居跡には掘抜(ほりぬき)井戸が残っている。
文京区  (「旧 菊坂町 (きくさかちょう) – Monumento(モニュメント)」より)]

菊坂・梨木坂・胸突坂-菊坂のルーツと遷り変り

「国立国会図書館デジタルコレクション – 江戸大絵図元禄十二(1699)年」(コマ番号2/5・絵図四つ切右下、松平加賀宰相右上方向、現在の梨木坂の場所にきく坂と記述されています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 新板江戸外絵図. 東ハ浅草、北ハ染井、西ハ小石川)(寛文11-13(1671-1673)刊)」(絵図四つ切左下・現在の梨木坂の場所にきく坂と記述されています。江戸時代には梨木坂が菊坂と呼ばれていたようで、坂上を菊坂臺町、坂下を菊坂町と呼んでいたようです。菊坂名が現在の菊坂に移ったのは明治以降と思われます。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 本郷湯島絵図」(地図中央左上に長泉寺が描かれています。そこの上の道が梨木坂になります。)

国際日本文化研究センター – (内題)東京府武蔵国小石川区小石川表町近傍(五千分一東京図測量原図のうち)(明治16・1883年)」(地図四つ切右下・本郷菊坂町右下に奈須阪と記述されています。)

梨木坂 – Google Map 画像リンク

梨木坂上・カメラ南方向が梨木坂です。

カメラ西北西方向に標識板があります。

梨木坂下・カメラ位置は菊坂で、カメラ北北西方向が梨木坂です。