水戸徳川家中屋敷跡(東京大学農学部)

マーカーは水戸徳川家中屋敷跡(東京大学農学部)です。

水戸徳川家中屋敷跡(東京大学農学部)
[朱舜水記念碑(しゅしゅんすいきねんひ)
朱舜水(1600~1682)は、中国の儒学者であったが、明の滅亡に際し援助を求め7回来日し、の成立に伴い亡命し、帰化した。寛文5年(1665)水戸徳川家の2代藩主徳川光圀に招かれ、独自の古学による古今の儀礼を伝授した。また、水戸学思想に大きな影響を与えたとさせる。また、水戸家の江戸上屋敷にあった後楽園の名称や設計にも意見が取り入れられている。現在、朱舜水先生終焉之地の碑がある。  (「文京区ホームページ-朱舜水記念碑」より)]

[東大の農学部の正門を入った北側に「朱舜水(しゅしゅんすい) 先生終焉之地」の碑があります。朱舜水という人は、江戸時代初期に日本に亡命した中国明末の遺臣で儒学者です。名は之瑜(しゆ)、字は魯 王與(ろよ)、号は舜水(しゅんすい)、号の舜水は郷里の川の名からとったそうです。中国浙江(せっこう)省に生まれ、明国に仕えました。しかし、清が興隆してきたため、支援を請うため、長崎にも7回来訪しましたが、7度目に来日した万治2年(1659)からは長崎に住んでいました。水戸藩主の徳川光圀は小宅(おやけ)生順を長崎に行かせ、朱舜水を招こうとしましたが、初め応じませんでした。その後、寛文5年(1665)にようやく招きに応じて水戸藩の江戸藩邸に入りました。朱舜水66歳のときです。住居は水戸藩中屋敷(現在の東京大学農学部)内に準備され、徳川光圀の先生として待遇されました。水戸も二度訪れています。そして、水戸光圀や安積澹泊(あさかたんぱく)、林鳳岡(ほうこう)、木下順庵らに大きな影響を与えました。朱舜水から教えを乞うた安積澹泊(あさかたんぱく)は「大日本史」の編纂で有名ですが、『水戸黄門』に登場する格さん(渥美格之進)のモデルとされています。(「朱舜水記念碑(湯島・本郷散歩 大江戸散歩)」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 本郷湯島絵図」(絵図中央右下に水戸殿中屋敷と描かれています。)

カメラ東方向が水戸徳川家中屋敷跡(東京大学農学部)です。

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