マーカーは湯嶋山常光院浄心寺です。
湯嶋山常光院浄心寺
[浄心寺は、元和2年(1612年、徳川2代将軍秀忠の頃)に畔柳助九郎氏が大旦那となり、還蓮社到誉文喬和尚を開山上人とし、湯島妻恋坂付近に創建されました。その後、八百屋お七の振り袖火事として知られる江戸の大火により焼失し、現在の地に移転しました。
第二次世界大戦でも空襲に遭い、焼け野原になった中から第23世住職・小池政雄和尚と千代夫人が檀信徒の協力を得て、今日のような復興と発展を遂げました。
政雄和尚は、江戸観音札所の第10番に指定されている「子育て桜観音」こと十一面観世音菩薩像をはじめとする阿弥陀三尊像、四天王像、虚空蔵菩薩像等、仏像の建立に力を注がれました。
観音霊場巡りが盛んだった江戸時代には、江戸三十三観音霊場、山の手三十三観音霊場、深川三十三観音霊場など、いろいろな観音霊場がありましたが、昭和五十一年(1976年)に昭和新撰江戸三十三観音霊場として新たに生まれ変わりました。 (「浄土宗・浄心寺(東京都文京区)概要」より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 本郷湯島絵図(嘉永六年・1853年)」(絵図右端中央上付近・御先手組の下方向に浄心寺が描かれています。その上方向白山権現左下に浄心寺が描かれていますが、こちらの寺は浄心寺坂の由来の寺でライオンズマンション(白山1-36)の所にあった寺で、今はライオンズマンション内に事務所があるようです。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [33]貮拾壹元(安政三年・1856年)」(コマ番号2/7・地図中央右上方向に浄心寺年貢地と描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 武州豊島郡駒込村絵図(写し)」(コマ番号3/3・絵図中央、大田摂津守下屋敷下に浄心寺が描かれています。)
カメラ東北東方向が湯嶋山常光院浄心寺参道です。
浄心寺本堂前のカメラです。